「星座α」(主宰・尾崎左永子)が創刊されたとき一通の書面がおくられてきた。もともと「星座」という「かまくら春秋社」が版元の総合文芸誌があるのだが、その会員の有志というか、「佐藤佐太郎の心を継ぐ」とさらに目的を絞って新会員もつのりながらの新しい雑誌という位置づけだった。
「星座」の選者や尾崎主筆などが集まって「相談会」があったのだが、僕は折悪く参加できなかった。そこで「相談会」の結果が送られて来たのだった。そこには、
「会の参与となってください。」
と書いてあった。もともと会の運営のお手伝いに力は惜しまないつもりだったから、「参与」を引き受けた。
ところがである「参与」というのは、他の結社で言うと「選者」だったのだ。もちろん最終的には尾崎主宰が、全作品に目を通す。
僕としては「参与」はお手伝いのつもりだったのだが、事実上の「選者」だったのだ。正確には「選者見習」か?
これは責任重大。だが選歌・添削の経験年数はは、もうかれこれ10年近くになる。「霧が丘短歌会」(地元の有志の小グループ)と「かながわ文化センター」。ともに参加者の作品に批評をするのだが、批評だけではない。
「実際にどう表現するか。どうしてそうでなければならないのか。」を説明しなければならない。幸い「運河・かながわサロン」での蓄積があった。今年からは「運河・東京歌会」にも出席している。ここからも新しい蓄積を重ねている。
「助詞をどう使うか」「起・承・転・結」「序・破・急」などについても、自分の言葉で説明できるようになってきた。(岡井隆が「星座・52号」の誌上で、佐太郎の作品について、尾崎主筆と対談した記事。これが大いに参考になった。「佐太郎の作品は読んでいると、< あれ、こう来るの? >というところがある。」)これが「序・破・急」の「破」であり、「起・承・転・結」の「転」に当たる。
固有名詞・句割れ・句またがり・字余りなどをどう使って、詩的効果を出すかも、定見をもつことができた。
それが的外れでないのは、「かながわ文化センター」の受講生がめきめき力をつけてきたことで、実証してきた。このブログの記事を書くために斎藤茂吉・佐藤佐太郎の作品を読み込み、短歌史を俯瞰し、前衛短歌についても考えてきた。これも「新しい蓄積」となった。
大役だが、力を尽してみようと思う。きっとまた「新しい蓄積」が得られることだろう。
(添削を否定する考え方もあるが、「添削をいやがる人ほど、添削が必要だ」という永田和宏の言葉もある。僕は「永田説」に賛成である。)
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