岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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「星座α」第5号より:「今号の佳詠」

2012年11月03日 23時59分59秒 | 作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで
「今号の佳詠」

 主観と客観と

 佐藤佐太郎は、名詞を実語、その他の自立語を虚語と呼んだ。そして「一首の中の虚と実の出入りが詩の味わい」と言った。虚語は主観をあらわす言葉も含むから、ここでは客観(実語)と主観(虚語)の出入りの巧みなものを選んでみた。先ずは四首を挙げる。

 (白い日傘に夏の香を感じる作品))

 (建つビル群のそれぞれの特徴を「アイデンティティ」と捉えた作品)

 (葡萄の新芽の「柔らかさ」と兆す不安とを表現した作品)

 (黒雲と故なき不安とを表現した作品)

 客観が実語、主観が虚語であるとは必ずしも限らないが、掲出の四首は主語の部分、つまり、ものの捉え方、感じ方に独特のものがある。その主観を支えるのが、作者個々人のものの見方、考え方、人生観や価値観である。

 次に比喩を使ったものを五首。

 (比喩を使って、音高く出航する高速艇を表現した作品)

 (比喩を使って、細き三日月を表現した作品)

 (比喩を使って、さつきの花殻を摘んでいくありさまを表現した作品)

 (比喩を使って、炎天の向日葵畑を表現した作品)

 (比喩を使って、輪切りのトマトを表現した作品)

 四首目は比喩にうち暗喩に近いものだが、どの比喩表現もありきたりでなく独自性がある独特の捉え方 、主観のはたらきであろう。

 最後に比喩を効果的に使い、独特の主観をあらわしたものを二首挙げる。

 (色の変わった紫陽花の歌)

 (川岸で見る電車の歌)

 一つの具象の中に普遍的な意味の感ぜられるとき、その具象は普遍的なものの象徴である。
    
            (岩田亨)


   (「星座α」第5号より)





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