「今号の佳詠」
主観と客観と
佐藤佐太郎は、名詞を実語、その他の自立語を虚語と呼んだ。そして「一首の中の虚と実の出入りが詩の味わい」と言った。虚語は主観をあらわす言葉も含むから、ここでは客観(実語)と主観(虚語)の出入りの巧みなものを選んでみた。先ずは四首を挙げる。
(白い日傘に夏の香を感じる作品))
(建つビル群のそれぞれの特徴を「アイデンティティ」と捉えた作品)
(葡萄の新芽の「柔らかさ」と兆す不安とを表現した作品)
(黒雲と故なき不安とを表現した作品)
客観が実語、主観が虚語であるとは必ずしも限らないが、掲出の四首は主語の部分、つまり、ものの捉え方、感じ方に独特のものがある。その主観を支えるのが、作者個々人のものの見方、考え方、人生観や価値観である。
次に比喩を使ったものを五首。
(比喩を使って、音高く出航する高速艇を表現した作品)
(比喩を使って、細き三日月を表現した作品)
(比喩を使って、さつきの花殻を摘んでいくありさまを表現した作品)
(比喩を使って、炎天の向日葵畑を表現した作品)
(比喩を使って、輪切りのトマトを表現した作品)
四首目は比喩にうち暗喩に近いものだが、どの比喩表現もありきたりでなく独自性がある独特の捉え方 、主観のはたらきであろう。
最後に比喩を効果的に使い、独特の主観をあらわしたものを二首挙げる。
(色の変わった紫陽花の歌)
(川岸で見る電車の歌)
一つの具象の中に普遍的な意味の感ぜられるとき、その具象は普遍的なものの象徴である。
(岩田亨)
(「星座α」第5号より)