「現代短歌新聞」 一首自選。
・砂丘(すなおか)の砂は形を持たずして風ある時は風に従う・
第三歌集「剣の滴」所収。
この一首は過去の記憶に基づく作品である。そう四十年以上前の事だった。家族で静岡県の御前崎へ行った。
そこで目にしたのは海沿いに長く続く大砂丘だった。風紋の美しい砂丘だった。「南遠大砂丘」(なんえんだいさきゅう)といったが、地元の人は「浜岡砂丘」と呼んでいた。
そう現在の浜岡原発のあるところだ。美しい砂丘だったが、現在では緑化されて原発を津波から守る「壁」になっている。残念な話だが、この砂丘は津波を防ぐほど堅牢ではない。
それに加えて浜岡原発は東海地震の震源域の真っただ中にある。そこが不安なところだが、それとは関係なく、この一首からは「理由のない不安」を感じると言われたことがある。
それはそれでいいのだが、僕は「風に従う」砂に、無常を感じた。その意味でこの一首は完成度が低いのだが、なぜか「捨てられない」一首だ。しかも「現代短歌新聞」に掲載されたのを見つけ、メールを頂いたりしたので忘れられない一首となった。
「写生・写実」は目に見えるものをその場で詠むと思われがちだが、そうではない。時間が相当経過していても一向に構わないのである。このことは斎藤茂吉の時代から問題にされていた。
与謝野晶子が「写生はその場で歌を作らなければならないので不便だ。」という論難をしたときに、斎藤茂吉は「どんなに時が経っていても構わない。」と反論したという。(「斎藤茂吉歌論集」岩波文庫)
過去の出来事は、心の「揺れ」の核心部分だけが残るので、余剰が排されて思わぬ効果を出すことがある。
なおこの砂丘については、次の一首がある。
・砂丘(すなおか)のくぼみの砂を掘りゆきて指先湿る海近ければ・「夜の林檎」