岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

僕のメシの喰いかた

2015年03月27日 23時59分59秒 | 紀行文・エッセイ
僕が胃ガンで、胃の全摘手術を受けたのは2005年の8月だった。これは忘れられない。第一歌集『夜の林檎』を出版した年だからだ。ガンの宣告を受けたのは、3月の末だった。生まれて初めて、自分の死を考えた。自分の生を考えた。短歌を始めて5年ほどだったが、自分の命に限りがあると感じたので、歌集の出版に踏み切った。

 ガンの告知を受けたその夜、「星座」の尾崎主筆に手紙を書き、出版社を紹介してもらって、歌集出版までの手順を教えて頂いた。

 だがガンのことは歌集には書かなかった。病気であることを「売り」にしたくなかったからだ。もしそれを前面に出していたら、もっと売れたかも知れない。だがその時点で、僕の短歌作品の進展はなかっただろう。売れたことが逆にマイナスになって、傲慢になったに違いない。(今、僕はうつ病の症状が消えたのを、時々口にする。これはうつ病は、症状が一生消えないものではないことを、アピールしたいからだ。そういう話がうつ病の患者には励みになる。世の中うつ病の患者が多い。希望を捨てないで欲しい。)

 さて胃の全摘手術は、胃の全部と、胃の周囲のリンパを全て切りとった。これで生活にやや難渋しているが、これは別の記事に書いた。ここでは食生活に限って書いておきたい。胃は全摘すると、再生することはない。世間で「胃を切ると、しばらくして胃が出来る」と言うのは、部分切除をした人だ。正確には、「胃が出来る」のではなく、「残った胃の大きさが膨らむ」のだ。従って全摘した人は、一生胃のない生活をする。

 胃がなくなって一番困るのは食生活だ。僕の場合食道が小腸に直接つながっている。縫合のノリシロがあるから、直径2・5センチメートルしかない。些細な原因でここが塞がれる。これが腸閉塞だ。塞がると命に関わる。そこで食材を選ぶ必要がある。イカ、タコ、貝類、海藻は食べらない。やむを得ず食べるときは100回噛む。

 一番気を遣うのは噛む回数だ。10年の経験則から導き出した工夫だ。米のご飯。これは口いっぱいの分量を50回噛む。肉類。一口分を50回噛む。味噌汁。具を一つ一つ、奥歯ですり潰すか、具をほうばっで50回噛む。。胃を切った後初めて食べるものは、念のため100回噛む。天麩羅、フライも一口を50回噛む。おかゆは口いっぱい分を20回噛む。

 すり潰すのが目的だからカチカチと音がする。時には口いっぱいものをほうばる。和食では、副菜、ご飯、汁物、ご飯、焼き物、ご飯と食べるのが、マナーだが、努力しても片喰いになる。気になる食材を、先に食べるからだ。食べている最中は、噛むのが必死で、話しかけられても答えられないことが多い。だから会食を共にする人は、「行儀が悪い」と感じる人もいるだろう。

 此の頃、人と食事を共にすることが多くなった。失礼があればこの場で、ご理解をいただきたい。こういう食べ方をしなければ、僕は生きていけない。それでもたまにつまりかかるのだから。

これは僕にとっての「生きるための知恵」なのだ。

和食の食べ方に流派があるが、これは「岩田亨流」の食べる作法と考えていただきたい。


しかし悪いことばかりではない。この3月で手術以来10年を迎える。これだけたてばまず再発はない。生きるのに真剣になったとも思う。これは僥倖だろう。




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