「主観的な句でありながら、空虚でなくやはり何だか客観的な中味がある如くに感ぜられる。」(199)
「何かを暗指する抒情味で、天然に存在する複雑な葛藤をば、一面では落ち付いて克明にあらはして居り、一面ではその葛藤と同化して思ふ存分詠嘆してゐる。」(200
東日本大震災の原発問題に関して。(国立)理化学研究所の所長が、
「今回のことで< 想定外 >という言葉を科学者は使うべきではない。人間の作ったものに絶対安全なものはない。明治時代の科学者であり随筆家でもある寺田寅彦の言う通り、< 正しく畏れる >必要がある。」
と述べた翌日に、浜岡原発の停止要請が首相より中部電力に伝えられた。東海地震の震源域のほぼ中央にあるというのがその理由。
しかし僕はもう一つ心配事がある。浜岡原発にだけ関するものだ。それは砂丘の存在。
浜岡原発の海岸線には砂丘がある。今は樹木(おそらく低木か、蔓草)によって緑化されているが、1971年前後までは、砂漠を思わせる砂山だった。家族旅行で行ったことがある。原発の着工の直前だった。御前崎の民宿に二泊して、磯遊びをした。そのとき宿の人にすすめられたのが砂丘探訪だった。
名称は「浜岡砂丘」。高さ10メートル以上はあったと思う。鳥取砂丘に行ったことのある人によると、鳥取砂丘より二回りほど低く小さいとのことだった。土産物には「南遠大砂丘」とあったから、遠州灘に沿って砂丘があり、その東端が「浜岡砂丘」のようだった。この砂丘、5分の1ほどが蔓草によって緑化されており、それが現在のすべて緑化された状態の始めの段階だったようだ。
砂丘はもろい。特にのぼる時は足もとが崩れていく。石川啄木の、
・東海の小島の磯の白砂にわれなきぬれて蟹とたはむる・
を思い起こすほどのものだった。
さて原発の問題。海抜10メートルほどの砂丘があるので津波を防げると中部電力は言う。しかし、である。あの砂丘であれば、表面をどんなに緑化しても津波は防げまい。コンクリート製の堤防でもコンクリートの下の土に砂が多く含まれれば、水が沁みとおるという。利根川流域の堤防の話だ。
津波は利根川の増水の規模をはるかに超える。加えて「砂を多く含む」どころか、浜岡原発の海岸線は砂そのものの丘である。下手をすれば、濁流が砂もろともに原発に押し寄せる。仮に原発の周囲に15メートルほどのコンクリート製の壁を作っても防げまい。角砂糖を積み上げて堤防にするようなものだ。それほどあの砂丘の砂の有様はもろい。
僕の想定・想像力はそこまで及ぶ。さて原子力委員会・原子力安全保安院・中部電力関係の科学者の想定・想像力はそこまで及ぶだろうか。ことは人命にかかわる。
その砂丘を詠んだ歌。
・砂丘(すなおか)のくぼみの砂を掘りゆきて指先湿る海近ければ・「夜の林檎」