岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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8月と日本人(夏の節電)

2011年08月10日 23時59分59秒 | 政治経済論・メモ

 「夕立」「蛍」「夜の散歩」「水」。

 これに扇子・帽子・行水・打水とそろえば夏の風物詩である。いや、夏の風物詩であったというのが正確だろう。エアコンの効いた部屋の中で「冷房病」になる人も多かった。そして熱帯夜・熱中症。エアコンの設定温度はどんどん下がって行った。

 ところが今年の夏は例年とはかなり違う。僕の家では、今日に至るもエアコンを全く使っていないのである。目的は無論「節電」。僕は郊外の大規模団地に住んでいる。街の中心にマンション群(戸数1000ほど)があり、その周囲に建売住宅がある。これが街の概観で、そのまわりを小高い丘が囲んでいる。

 そのマンションで一つの変化が起こっている。どんな暑い日もエアコンの音の室外機の音がほとんど聞こえないのだ。みんな必死に節電している。「エアコンを使いたいから、原発を再稼働して欲しい」という声は一切聞こえて来ない。

 そのせいか夜になると涼しい風が部屋をふきぬける。「エアコンの室外機から出る熱が都会の空気を温めている」というのは本当らしい。だから「熱帯夜」(夜でも25度を下まわらない)でも意外なほど涼しい。

 そしてなるべく一つか二つの部屋で家族が集まる。残りの3つの部屋の電気は消す。(少しでも「揚水発電」に電力がまわせるように。)

 昼は、水を飲み(スポーツドリンクを4倍に薄めたものを2リットルは飲む)、行水をする。鞄の中には扇子と団扇・水筒。濡れタオルをビニール袋に入れて凍らせたものを帽子の下に入れる。これで出かける時もしのげる。

 蒸し暑い日は「水は飲んでいるか、行水(35度前後の風呂)はしたか、水は冷蔵庫で程良く冷やしたものがいいぞ、熱いお茶は体温を上げるから冷茶を作ろう」と声をかけあう。

 考えると1970年代まではこういう生活だった。1950年代・60年代はもっと違ったはずだ。家族のアルバムを見ると、庭の盥で幼稚園児の僕が行水している。親戚が揃ってプールに行った写真(豊島園)もある。街を行くビジネスマンは半袖のワイシャツ姿でノーネクタイは当たり前。

 黒澤明の1950年代の映画を見ると、刑事役の志村喬も三船敏郎もノーネクタイにワイシャツの襟を夏ものの背広の襟の上に大きく出し、胸元をあけている。カンカン帽をかむり、汗をふきふき扇子をばたばたさせながら聞き込みをする。(上着の襟の上にワイシャツの襟を出すのは、上着の襟に汗のシミが付かない工夫だそうだ。これは行きつけのクリーニング店の人の話。)

 現場での打ち合わせは、かき氷を食べながら扇子を頻繁に使う。その最中も何度も汗を拭う。

 蒸し暑い日本の夏はこういうものだったのだ。こういうライフスタイルから学ぶものは多い。

 使いたい放題に電気を使うという生活はどこかおかしいのだろう。さらに日本中の信号機と看板、家庭の電球をすべて LED 電球に交替する、家庭用燃料電池(エネファームとも言うそうだが)を普及させる、小規模発電を出来るところから広げて行くなど、さまざまな方法を組み合わせれば更なる節電・発電の新しい形が進む。

 そうして凌ぎながら自然エネルギーの技術開発と実用化など、発電の分散化を進める。こういう講想はどうか。

 ついでに言うと冬は?重ね着をすれば、関東以西なら問題ない。そういえばこの冬はほんの数日の数時間を除きエアコンをつけなかった。僕の大学時代の知人は、真冬は部屋の中で手袋をはめながら、受験勉強をしたという。1970年代後半(バブル経済の前)の話である。

 岡井隆は「高度成長で人間が変わってしまった」(「私の戦後短歌史」)というが、もしかしたらバブル期に更に変わったのかも知れない

 家庭用電力の節約はほとんど意味がないという説や、そもそも電力不足が事実に反するという説もある。しかし総電力量の2割を占める家庭用電力を「節電」する意味は大いにあると僕は思う。




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