東日本大震災から一か月半が過ぎた。福島第一原発の状態は依然深刻で先が見えない。原子力安全保安院は「原子炉は比較的安定している」「ただちに健康に影響を与えるものではない」と繰り返していたが、海外の専門家は事故後すぐに事件の重大性を明言していた。
海外の専門家の話がテレビニュースなどで流されると字幕で会話内容が訳されていたが、その内容には明らかな「誤訳」があった。
本人は英語で「シリアス=深刻な」「メルトダウン=炉心溶融」といっているのに、画面の字幕は「大変な」「燃料棒の損障」と書かれていた。これが誤訳なのか、意図的なものか僕が知る由もない。しかし事故後2週間たったころ、
「一部マスコミが国民に不安感を与えるような報道の仕方をしている。」
と官房長官が語気鋭く言ったあと報道のスタンスが変化した局もあった。決算に国会の承認を必要とするあのテレビ局だ。
僕は病気療養中で主治医が市内にいる。あやうく落命するところを4回も助けられた。かれこれ15年その病院に通っているから引っ越す訳にはいかない。
だからこそ自分の住んでいる所から、今度の震災を注視している。地震は岩手県沖から千葉県沖にかけてに震源域・余震域がある。幅200キロメートル、長さ500キロメートルの広大な地域だ。(なぜか幅がいつの間にか250キロに広がっている。)関東大震災の震源域が相模湾一帯だったのと比較して、いかに広いか分ろうというもの。
このように注視しているうちに震災の影響が身近なところに迫ってきた。
まずは停電。退院したその日にあの大きな揺れを感じた。すぐに電気が止まった。長らく放置していた非常持ち出し袋を引っ張り出して、食料をダイニングテーブルの上につみあげた。カンパン・非常食用ドロップス・チョコレート・キャンディ。家中のカンヅメ、菓子、懐中電灯と電池、ろうそく。数年前に団地の防災訓練で、
「首都圏は震災にあっても、3日しのげば他の地域より救援物資がはいってくる。だから1週間分の水と食料を確保しておけば何とかなる。」
と自治会長から聞いて用意していたので、結構揃った。
「これで一週間は生きられる。」と言って早めに寝た。
次に薬。入院時に処方された薬は当分飲み続けるように言われたが、その薬が入荷しなくなったという。そこで一週間ずつ薬局まで受取りに行かねばならない。大震災の影響で、製薬工場の生産が滞り、物流の混乱も影響しているという。
最後に食糧と水。今度の震災でわかったことは、首都圏の食糧をいかに東北地方に依存していたかということ。それと水の大切さ。ぼくの家の非常用備品のなかで唯一なかったのが水。停電があると水道も止まる(マンションの4階)。そこで送水再開直後家中のペットボトルに水を入れた。最上部に空気がはいらないようにギリギリまで水を入れれば半年はもつ。これも自治会の防災訓練で聞いたことだった。
食糧のことには原発の問題も絡んでくるので、別の記事に書きたいと思う。
まさに「東日本大震災」である。東北・関東甲信越までに避難所があり、北海道の函館でも亡くなったかたがいる。内陸部の「誘発地震」も続いている。せめて「備えあれば憂いなし」としておきたいものだ。
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