器の問題が話題になっている。
スーパーに行くとカップめんのところに張り紙が…。
「強い芳香剤の臭いが、まれに着く事があります。芳香剤から離して保管してください」
新聞を読むと
「ペットボトルの異臭は、保管した倉庫のカビの臭いが移った」
それは、完全に器の問題で臭いの強い弱いの問題ではないはず。
誰の責任だろうか?その素材を選定した責任者だろうが、ボトルやパッケージをデザインした人の責任もあるのではないだろうか?使われる素材を吟味できないデザイナーが増えている。すぐに新素材に飛びつく。
「住宅は住むための器械である」と言ったル・コルビジェは、建築住宅を器に例えた本質を見抜いた言葉だ。
建築家だけに当てはまる言葉ではなく、生活デザインをする全ての人に問いたい。形ではなく、本質を貫くデザインをして欲しい。
デザインが本質を要求される時代がもうそこまでやってきている。
スーパーに行くとカップめんのところに張り紙が…。
「強い芳香剤の臭いが、まれに着く事があります。芳香剤から離して保管してください」
新聞を読むと
「ペットボトルの異臭は、保管した倉庫のカビの臭いが移った」
それは、完全に器の問題で臭いの強い弱いの問題ではないはず。
誰の責任だろうか?その素材を選定した責任者だろうが、ボトルやパッケージをデザインした人の責任もあるのではないだろうか?使われる素材を吟味できないデザイナーが増えている。すぐに新素材に飛びつく。
「住宅は住むための器械である」と言ったル・コルビジェは、建築住宅を器に例えた本質を見抜いた言葉だ。
建築家だけに当てはまる言葉ではなく、生活デザインをする全ての人に問いたい。形ではなく、本質を貫くデザインをして欲しい。
デザインが本質を要求される時代がもうそこまでやってきている。