美々津港の堤防の上に南雲勝志氏デザインの防護柵「鯨尾」(私が勝手に命名)が設置された。
まちづくりの基本は、その町を知ること。
その町の歴史、風土、文化などさまざまなことを通じて町を知ることが、大切です。
はじめは、神武天皇御船出の地に因んで、「ヤタガラス」のモデルを見せてもらいました。
次が、この「鯨尾」です。
基本は、「大きな手を広げて入ってはダメです」という防護柵なのですが、この鯨の尾っぽが大変気に入りました。
【神武天皇鯨退治の伝説】
神武天皇が舟に乗って東征の折、美々津の港を出て、ビロケ島の近くまでおいでになると、一頭の大きな鯨が波の間に浮いたり沈んだりしていた。しかもその鯨はひときわ大きく、なかなか恐ろしい勢いで舟に近づいてきます。兵士たちも何と恐ろしい鯨であろうかと見ていましたが、勇敢な神武天皇は鯨の近づくと自ら鉾を待って、この鯨を一突きに突かれました。するとたちまち鯨は美しい女性の姿になって、天皇に「私はこのあたりの海上に住んでいるのですが、実は今子供が生まれようとしているのです。それで今貴方に殺されるとおなかの子も育ちませんから、どうか命を助けてください」としきちに頼みました。天皇はこれを聞かれてかわいそうに思われ、「よししからば許してやろう」といって助けてやりました。すると又もとの大鯨になって海底深く沈んでいきました。天皇はこれを見送っておられましたが、「何と美しい女に化けたものだ。この島は美しい女が出てきたから美女ヶ島か」と申されました。それでこの島を美女ヶ島といったのですが、いつのまにか美女がビロケ島になったというのである。
現地に設置している「鯨尾」は鋳鉄製ですが、はじめは、地元の人に見ていただこうと木製のモックアップを弊社で作製しました。
色も塗って欲しいということなので色も塗りましたが、このモックアップが、鋳物の型の原型に採用されました。