三電計装株式会社の社長日記

無線通信分野での事業を通して四国を元気にしたいと思っております。

トラック野郎

2014-12-01 15:03:15 | Weblog
自分で勝手に師匠と崇めていた菅原文太さんが亡くなっていたと携帯に速報が入りました。
学生時代、任侠映画好きな友人とレンタルビデオで「仁義なき戦い」をよくみてました。
子供のころは、年末年始の深夜に当時流行った映画をテレビで放映してまして、その頃トラック野郎を何度もみました。
小学6年の頃、将来なりたい仕事を絵に描きましたが、当時から大きい乗り物に憧れてましたし当時の学校は木造から鉄筋コンクリートの校舎に建て替え工事を行っており大型ダンプをよく見かけてましたのでダンプカーを描いた事を覚えています。
当時は高度成長真っただ中で、至る所で道路工事もしておりダンプや重機を見る機会が30数年前は多かったですね。
トラック野郎にいつかはなりたいといいますか、大型トラックに乗ってみたいという思いは続き、勉強が嫌いなのに大学にまで行ってしまったためもれなく留年し親からの仕送りをカットされました。
最後の1年をどうしようと悩む事も無く、それだったらお金にもなり好きなトラック野郎を経験しようと思い魚屋の4tトラックの運転手を1年弱経験しました。
山口県の周南市(当時新南陽市)の事務所を夜の9時に出発し下関魚市場で魚を仕入れ、事務所経由で柳井魚市場で降ろし洗車して朝帰宅という生活でした。
トラックに乗れるのが嬉しくて、しかも4tトラック以上になるとミッションや排気ブレーキはエアで動くため「プシュ!」という音も心地良く毎日300kmを楽しく過ごす事が出来ました。
魚市場も面白く、その時の魚の獲れる総量によってトロ箱1杯の金額も大きく変わったりセリがあったり、20海里以内で獲れるミンククジラを食べさせてもらったりとこちらも楽しい経験でした。
それにしても何かの縁か、菅原文太さんの特に「トラック野郎」という映画が好きで以前から購入したいと思っていたDVD全集を先月とうとう買いまして楽しく見ていた最中の訃報でした。
ご冥福をお祈りいたします。

この胸の 燃ゆる思いにくらぶれば 煙は薄し桜島山
コメント
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