東日本大震災から11年が経過しました。
この年は、東日本大震災があった3月11日より先に鹿児島の新燃岳の噴火がありました。
新燃岳周辺はどうなっているのだろうと思い、噴煙が出続けている頃に向かいました。
噴煙が都城市方向だったため、都城市に行くとまさに灰の街で火山灰はさっさと取らないと雨が降ったら固まるそうで大変なことになっていると思いました。
そして、東日本大震災当日は社員が東北で大変なことが起きていると聞き、さっそくテレビをつけてみると高波が襲うライブ中継を見て、まるで映画のようでとんでもない事が起こっていると驚きました。
実際にその現場がどうなっているのか?この目で確かめたいと思いちょうど高速道路がいくら走っても1000円という制度終了が同年6月20日㈰だっため、18日㈮から現地に向かいました。
子どもたちにもその目に焼き付け自分ながらどうするか考えてほしいと思ったからです。
往復2000km以上走破しましたが、自然にはかなわないので逃げる術を今から考えなくてはと思った次第です。
それから5年ほど前にも仙台から国道6号線を走りながら福島原発の側まで行きました。
道路には電光掲示板に徒歩、自転車、2輪などは通行止めで交差点は全てバリケードを施し帰還困難地域に入ると草刈も何も出来ずゴーストタウンの街並みもありました。
太陽光発電などの再エネは不安定電源のため欧州では原発が再認識され始めています。
日本でも再エネ普及に舵を切りましたが火力発電に変わるベースロード電源をどうするのか?
など課題は山積みだと思います。
それでも当社としては再エネを普及させ住みやすい街づくりに少しでも貢献できればと思っております。