TVでしって彼方此方探し回りましたが全然なく、残念に思っていたら
東京の娘から送ってきました。
早速仏壇に供え、懐かしい話をした私でした。😊
原因不明の子どもの病気「川崎病」を発見した小児科医の川崎富作(かわさき・とみさく)さんが5日、老衰のため東京都内の病院で死去した。95歳だった。葬儀は家族葬で営まれた。後日、「お別れの会」を開く予定。連絡先はNPO法人「日本川崎病研究センター」(03・5256・1121)。
先ほどネットのニュースを見て、驚きました。
長男が6か月の頃急な発熱、それも高熱が続き、夫は出張で不在。
実家の母に電話し、落ち着かなければと様子をみて、
最近開院したと言う小児科に行きました。
長男の様子を見たドクターが、川崎病と病名を告げました。
生まれて初めて耳にした病名に、其のころ色々あった公害病の一つかと
驚きながらエッと聞き直すと、川崎富作先生が発見した
乳幼児に発生する病気と初めて知りました。
高熱のせいでしょうか口の中が真っ赤に腫れ、哺乳瓶を口に入れると
血がにじんで痛いのでしょう、泣くのです。
お腹がすくと又泣くし、一人でオロオロするばかりながら毎日通院です。
其のころはまだ運転免許証を持っていなかったので、タクシーです。
薄給だったので、連日のタクシー代は厳しかったですね。
4、5日経つと急に熱が下がったので、実家に電話をすると、母が笹栗さんにお百度詣りに
行ってくれたそうで、母の無償の愛を感じました。
その後手足の皮膚がボロボロ剥けはじめ、ドクターから治った証拠と言われ
ホットした記憶があります。
夫が帰宅して今までの事を報告。
その後同僚の子供達にも、同じ様な症状が出た様で、熊大で手術した子供もいました。
お陰でうちの子は其処まで酷くはなかったものの、進級する度に身体調査票に記入し、
心臓に変化がないかとずっと心配していました。
冠動脈にコブが出来て、突然死につながると言われていたから、
無事成人した時は心底嬉しかったです。
その時かかっていたドクターが前職(熊大医学部小児科勤務)の時川崎先生から直接
教えて貰ったそうで、心の底から感謝感謝の日々でした。
長男も40の坂を上りましたが、特に何も無い様で、無事過ごしている様です。
川崎先生のお陰で治療が上手くいき元気になっており、
心からお礼申し上げます。
玖珠町役場から小学生にマスクが20枚配布されました。
基本学校にはマスク着用ですが、市販の物や手作り等、
無い無いながらも皆さん工夫されている様です。
助かりました。
安部のマスクは家には来ていませんが、4月28日の登校日に一枚貰ってきました。
未だ使っていませんが、特に異常はない商品でした。
孫ちゃんが学校から帰ってくるなり、テレビ局が来ていた
と言い、二人してOBSを観ていると、
学校が休校で給食業者さんが窮地に立たされているとの話。
続いて玖珠町塚脇小学校が出て、給食時の映像が流れ
孫ちゃんが美味しく給食を食べている顔が
アップで映りました。
大分市内では登校も給食もまだなのでしょうか?
本人は恥ずかしかったと言っていましたが、
こんな状況の中で、良い思い出が残ったかな?って思っています。
先日道の駅で買った、茄子とゴーヤの味噌炒めを作りました。
まず1品出来上がり。
義父が大好きな料理で、時々卵を入れてッて、リクエストが ありました。
九州では定番のおかずで、懐かしい味です。
2品目 茄子の韓国風炒め煮。
米油で大量のみじん切りにんにくを炒め、茄子も炒め
砂糖、みりん、しょうゆで味付けし(少し控えめな味にします)
仕上に粉末のキムチの素を加え、味を調えます。
若干塩味が強い気がするので、ここで味の調整をします。
そのまま食べるのも良いのですが、茹でた10割蕎麦に 乗せ、
ぶっかけ蕎麦にして食べるのが私の一押しです。
これからの暑い季節、
氷等冷たい食べ物を一時しのぎに食べるのではなく
瓜類や茄子、トマト(身体を冷やす効果があります)
を食べて健康な身体作りをしましょう。
水分の摂り過ぎは、疲労感が残るだけではなく
来る秋に対応できない体になる恐れがあります。
野菜から水分を摂ると言う事は、ビタミン、ミネラルも摂れるので
水を飲むのとは違います。
賢い消費者になるように、更に学習したいと思います。
小学校高学年の頃、田舎に住んで居る友達が、自慢げに肉桂の根を持ってきた事が有りました。
産まれて初めて、生の肉桂の味を知った私は、
その樹が欲しくてとても羨ましくて仕方ありませんでした。
残念ながら我が家には庭が無く、その後ず~っと肉桂の樹が欲しくてたまりませんでした。
数年前知人から、実家に肉桂の樹があり、綺麗な花が咲くとの事を聞きました。
子供の頃からの思いが甦り、肉桂への現実が見え隠れする事に。
郡内の某所で偶然見つけた肉桂の花!
たまたま知人のアップした写真をみていたから、直にピ~ン
って、来て小枝を手折り匂いを嗅いでみると、
間違いなく肉桂の樹でした。
来月又この近くに行くので、苗を別けてもらえないか相談してみようと思っています
○○年以来の夢がかないそうな予感です。
中華街の一角のストリートです。朝から多くの人が歩いていて華やかな賑わいです
お目当ての朝粥のお店に行き、30分位待って、やっとテーブルに着くことが出来ました。
お粥を食べたいので、朝ごはんはたべていませんから、とても美味しかったです。
帆立のお粥に揚げパンをトッピング、これ美味しくて買って帰りましたよ。
後日、電気釜のお粥で炊いたら、結構美味しく頂けました。今も時々作っています。
豆田を散策中、日本丸館に立ち寄ってみました。
随分前に行った事があって、それ以来の店内は、大きく模様が変わり一階は手つくりの
小物達が沢山並べられていました。
以前は4階まで登って見学出来たのだけれど、、、、、、、と思って店員さんに尋ねたら
今でも見学は出来ると言われ、¥350払って中に入れてもらいました。
一階の奥には昔の台所用品等が保存してあり、明治から昭和にかけての物が沢山有ります。
日本丸館は江戸時代から続く薬屋さんで、太平洋戦争の折には軍隊にゼロ戦を寄付いたくらい
大金持ちであったそうです。
日本丸とは、丁度仁丹の様な丸薬で、兵士達に薬として与えたようです。
これにより莫大な財産を得たそうです。
現在は製造していないし、薬局もやめていますが、歴史的価値のある物が沢山保存されています。
以前見学した時には、この様な飾りつけは無く、今回行ってビックリしました。
まさか、お雛様が飾ってあるなんて、嬉しい誤算でした。
数多く飾ってある草野本家も良いですが、ゆっくり拝見できて、寛げて最高でした。
建物全体が、歴史的価値があり、骨董品の山って感じです。
杉の一本物とか、書き出したらきりがありません。
多分、骨董好きにはたまらない、垂涎のものばかりですね。
娘と小倉駅で待ち合わせをしたので、駅裏の駐車場に車を止め徒歩で街中に行く事に。
街中では駐車料金が、べらぼうに高いから、いつも一日最大600~800円の所に止めます。
ゆっくり時間をかけて、魚町、京町、鳥町等歩き、懐かしいお店がまだ営業しているのを発見
かれこれ50年前から行っているうどん屋さん。 はるやうどん。
昔はうどん一杯¥30円でした。 当時としても、安くて美味しいと評判の店でした。
今回は¥450円で時代の流れを実感せざるをえませんでしたね~。
私の口が変わったのか、若干味が濃い気がしましたが美味しかった。
さすがに、当時働いていたおばさん達はいませんでしたが、
昔のスタイルが全く変わらず、受け継がれていました。
昔はうどんだけで勝負していて、 座ると、注文しなくても、うどんが出てきました。
なかなか面白いシステムでしたよ。(^^) 今は蕎麦も、お稲荷さんも大盛りもあります。
ちなみに北九州のうどんは柔らかく、こしなんて、ありませ~ん。
この柔らかさがなんとも口当たりが良く、大好きです。
讃岐うどんはちょっと苦手かも。
今から34年前、夫に頼まれ日田市内にある岩田屋デパートで
購入した くるみ割り器 です。 岩田屋デパートは、もうありません。
当時はまだ車の免許を持たず、三歳の息子と一歳の娘を連れて
家から駅までタクシーに乗り、列車で出掛けました。
お昼は外で食事をして良いよ と夫が言ってくれたので
3人で日田市の老舗食事処で昼食を摂りました。その店は今も営業中です。
何を食べたかは、記憶にありません。
これを手に取る度に、思い出される、懐かしいシーンです。
ステンレスの歯と、握る部分は木で出来ており、
当時¥3000位したと記憶しています。
お陰様で良い物は長く使え、未だに重宝しています。
あれから34年経ちましたが、これ以上のくるみ割り器を
見た事がありません。
買う時には、かなり勇気がいったと思います。
銀杏や、胡桃を割る時、お世話になる大切な お道具さんです。