生協の理事は、五つの専門委員会から何か一つを選択しなければなりません。
そして、ランダムに選ばれ、私は平和委員会に決定しました。
6月より、平和委員会の最大の取り組みにかかり、
7月31日 コープおおいた 平和の集い コンサート を実行する事になり
何度も打ち合わせしながら、事務局の応援を受けながら、当日を迎えました。
戦争体験の方々が、段々少なくなり、マスコミも戦争の事、原爆投下の事、発信する事が
少なくなってきました。
ロンドンオリンピックの陰に追いやられ、被爆された方々の思いは放送されません。
唯一、広島市長の言った言葉、 福島の方々も同じ被爆者です、私達はあなた方と
共にいます。 と言った内容だったと思いますが、印象的でした。
唯一の被爆国の我が国で起きたこの事故は、人災としか言いようがありません。
何故なら、原発を作った事自体が、人災の始まりなんですから。
日曜日のFM放送で、 福山雅治のトーキング エフエム で、原爆、戦争の事を
話しているのを偶然聞くことが出来ました。
福山さんは長崎県出身ですから、原爆の事は子供の頃から聞いている
身近な問題のようで、後世に語り継ぐ必要性を訴えていましたね~ぇ。 同感です。
ホールの入り口と、ホールの中の壁に長崎と広島で原爆に遭われた方々の
被災写真パネルを展示しました。
当日は、一番に、樫の実少年少女合唱団のコーラス。
犠牲となった方々への鎮魂の思い、平和への願いを込めた歌声を披露してくれました。
二番手は、沙羅の会による、朗読劇、一時間にも及ぶ長丁場にも関わらず
語り部は勿論、聞く方も、一生懸命でした。 途中何度も涙をぬぐいながら、
実際戦争体験はありませんが、あの頃にタイムスリップしたかのような
錯覚に陥っていました。
続いて、沖縄戦跡めぐりに参加した、小学生と親の感想発表、
むすんでひらいて (グループ名)による楽器演奏と、二時間余りが
あっ と言う間に過ぎて行きました。
実際私も、平和委員にならなかったら、このような取り組みに参加することもなく
深く思い考える事も無かったかもしれません。
今私達が平和で豊かな生活が出来るのも、犠牲となった方々の存在を
抜きにしては考えられません。
昨日は、八時十五分 に 黙祷の合図がありましたが、何時もとは気持ちが違って
なぜかしら、涙がこぼれて仕方有りませんでした。
9日にも、黙祷をささげ、鎮魂そして、感謝の意を表したいと思っています。
沙羅の会 首藤 順子さんからのメッセージ
あれから、67回目の夏が来ました。
夾竹桃もカンナの花も、ヒロシマ、ナガサキに咲く花が血の色に見える夏です。
今子供は勿論、その親達も戦争を知らない世代です。
たった一発の爆弾がヒロシマだけでも25万人の命を奪ったことを、私達は忘れかけています。
朗読作品は被爆者3000人の手記をもとにしたものです。
炎のなかで水を求める喘ぎ、わが子を探し続ける母親、黒焦げの女学生、、、、、。
読み手は胸底から湧きあがる激しい感情と、あふれようとする涙を抑えて、当たり前に
生きられなかった人々の地底からの声を伝える 「語り部」になりたいと思っています。
お子さん、お友達、御近所の方々をお誘いの上、是非お出かけ下さい。
次の代に語り継ぐ輪の中の一つに、あなたも加わってくださる事を心から願っています。