ワニなつノート

子どもと「わたしのものがたり」(H)

子どもと「わたしのものがたり」(H)


今日の新聞にも、次のような記事がありました。

【児童ポルノ画像をネットに投稿、
容疑者は保育園経営者】

神奈川県警少年捜査課は15日、
埼玉県川口市、保育園経営T容疑者(44)を
児童買春・児童ポルノ禁止法違反などの疑いで逮捕した。

発表によると、容疑者は2007年10月下旬、
携帯電話の児童ポルノ画像投稿サイト
「KING博士のマル秘画像庫」に
女児のわいせつ画像8枚を投稿し、
不特定多数に閲覧させた疑い。

T容疑者の携帯電話には児童ポルノを含む
1000枚以上の画像が保存されており、

県警で調べている。
T容疑者は川口市内の二つの保育園を経営しており、
調べに対し、「画像はインターネットで集めた。
画像を交換したかった」と供述しているという。

(2009年6月16日 読売新聞)


【女児にわいせつ容疑の26歳逮捕】

県警は15日、佐倉市、会社員S(26)を、
強制わいせつの疑いで逮捕した。
発表によると、S容疑者は、5月22日午後3時25分頃、
千葉市緑区の路上で、下校途中の小学4年の女児(10)に
後ろから近づき、女児の口をふさいで抱きついた上、
体を触るなどした疑い。女児にけがはなかった。

S容疑者は調べに対し、「2006年以降、
1000件以上、同様の行為を繰り返した」と供述。

車の中から様子をうかがい、下校中の女児が
一人になったところで抱きつくなどしていたという。

S容疑者が、佐倉市や四街道市などでも
同様の行為をしていたとみて、県警は余罪を調べている。

(2009年6月16日 読売新聞)


☆    ☆     ☆

学校に、学習塾や駅、通学路、それに「保育園」です。
子どもにとって、ここなら安全、という所はないようです。

インフルエンザの方がよほど簡単に対応することができます。
被害の深刻さを考えれば、子どもの性被害への取り組みは、
もっとオープンに、交通安全のように語られる必要があります。

また、子どもの性被害への取り組みが大切な理由は、
「障害」と同様に、この国で(世界中で)、
もっとも差別され、沈黙させられ、
不当に扱われてきたことの一つだからです。

誰もがタブーにしてきたことを、
みんなが普通に話し、
黙らされてきた子どもの話に耳を傾けること。
それだけで、状況は変わります。
少しずつでも、そこから変わります。

誰もが「「王様は何も着ていらっしゃらないよ」と、
自分が見たまま、感じたままを、話せる環境、
子どもの言うことに、真剣に耳を傾ける大人の環境は、
「犯罪者」抜きに、すぐにでもできることなのですから。

ふつうの人が、ふつうに口にすることをはばかる「事柄」、
できれば係わり合いたくない「事柄」、
そうした「事柄」の存在の仕方に黙って従うことは、
「加害者」の犯行を容易にすることになるのです。

その反対に、子どもの気持ちに耳を傾け、
苦しんでいる子どもを支えようとする大人たちの姿勢。
それこそが、被害にあった子どもにとって、
差別され排除された子どもにとって、
一番の安心と支えになります。
失いかけた自信と自尊心を取り戻す一番の支えになります。

☆    ☆     ☆

ここ数日、「子どもの性被害」と
「障害によって分けられる子ども」の思いを
平行して書いてきました。

この二つを「同列」に扱うことに、
抵抗を感じる人がいるかもしれません。
子どもの「性虐待」と「特別支援教育」を同じに扱うのかと。

でも、わたしの視点は、そちら側ではありません。

あくまでも、「不本意」に、大人の意のままに扱われる、
子どもの側の痛みの方に、私の関心はあります。

「外見上の無力さをあてにして」
「子どもの沈黙をあてにして」行われることが、
子どもに与える無力感と沈黙の強制。

そのことは、教育であれ、犯罪であれ、親のしつけであれ、
治療であれ、福祉であれ、そして愛であれ、同じことです。

性被害の中身で考えればわかります。
性虐待者は、子どもを「傷つけるつもりなどなかった」
と言います。
「あんまり可愛かったから、やさしくしてあげただけだ」と。

「やさしく、子どもの髪をさわること」
「そっと、子どもの頬をなでること」
「笑顔で、子どもの肩を抱き寄せること」

その「行為」のみを取り出してみても、
何も語ったことにはならないのです。

どんな状況で、子どもがどんなふうに感じ、
どんな思いをもったか。
それだけが、大事なことです。


「やさしく、子どもにひらがなを教えること」
「笑顔で根気よく足し算の練習をすること」
「子どものために、根気強く歩行訓練をすること」

そんな目的や善意や、行為そのものを取り出して、
教育の正当性を語っても、あまり意味はないのです。
子どもがどんなふうに感じ、どんな思いをもったか。
それだけが、大事なことです。

「友だちといっしょにいたかった」という思いを、
子どもが自分の障害故に飲み込み、あきらめ、
その場所で先生と一対一で勉強に励むことが、
正しいとは、どうしても私には思えないのです。
そこで、漢字をいくつ覚えようと、
計算がうまくなろうと、
それよりも欲しいものが、
子どもにはあったのですから。
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