ワニなつノート

自己紹介のはなし


《自己紹介》


さっきふと「自己紹介」を考えてみた……。
就学相談会で自己紹介をどうすればいいのかと。

自己紹介。

自分が何者か。
どうしてここに立っているのか。

ここで何をしているのか。
歌を歌っているのではない。
では、何を?

何かを教えたい?
自分の知識を伝えたい?

そうではない。
そんな話し方をするかもしれないけれど、それは手段であって、私がここにいる理由ではない。


では、どうしてここに?


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声が聞こえるから。

「いける?だいじょうぶ?」

「おれ、くろいランドセルがいい」

「…佳ちゃんと優里ちゃんのこえ」

「バイバイつくえ。バイバイいす。バイバイ黒板。
バイバイみんなの絵。バイバイ習字。バイバイまど。
バイバイロッカー。バイバイ教室。バイバイみんな」

「ぼくはなきむしだけど、にんげんだ」


そう、子どもの声が聞こえるから。

だれもその言葉を使わないけれど、私には「たすけて」と聞こえる。
「こわいよ」と聞こえる。

「おかあさんといっしょのここにいたい」

「おとうさんといっしょのここにいたい」

「きょうだいといっしょのここにいたい」

「みんなといっしょのここにいたい」

「いっしょがなくなるのはこわいよ」ときこえる。

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子どものころ、ウルトラマンになりたかった。
アトムにもなりたかった。
モスラになりたかった。
ガメラになりたかった。
仮面ライダーになりたかった。

子どもの味方になりたかった。
子どもを助ける力がほしかった。

理不尽な大人より、力の弱い子どもの味方になりたかった。

子どもを助けたかった。
なにより、自分を助けたかった。

自分があのとき助かったのは、ほんの偶然だ。
私が「しょうがいじ」と思われなかったから。

あのとき、「しょうがいじ」と思われたら、
わたしの人生はあの教室から消えた。


だけど、あのとき、私がしょうがいじだったとして、
あのとき感じたこと、願ったこと、恐れたことはなくならない。

しょうがいじであってもなくても、
あのときはただのこどもだった。


だから、あのとき、わたしがしょうがいじだったとしても、
わたしは全力でわたしを助けたい。
命がけで8才のわたしを助けたい。

そうじゃないと、いつまでたっても
わたしの怖さはなくならない

もし、わたしがしょうがいじだったら、
あのときのわたしの「おもい」は、ぜんぶなしか?
あんなふうに、友だちといいたいと願わないか?
あんなふうに恐れないか?
あんなふうに感じないか

そんなことある訳ないだろ。
そんな子はひとりもいなかった。

だいすきなひと、だいすきなともだちのいない子はない。
集団が苦手でも、一人が好きでも、
たいせつなひとが、いない子はいない。

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助けたいのは「8才のわたし」、だ。
他の「私」はなるようになる。
なんとかならないなら、それはそれで仕方ない。

突然みつかったガンがステージ3bリンパ節転移8コ…と聞いたときも、「まあ仕方ないか」と思った。

ガンになったおかげで、8才のときの不安と絶望と理不尽さは、少なくともステージ3bのガンよりも桁違いに大きなものだとわかった。

だから入院前日に松戸の相談会に行き、ガンの手術後、病院を抜け出して千葉の相談会に行き、その2か月後にも抗がん剤を打ちながら県の相談会に行った。

相談会と治療とどっちも同じくらい大切なことだった。

カラータイマーが赤になってもウルトラマンは闘うものだyellow2

だけど、あれから4年、カラータイマーは青いままだ。
再発も一度もない。


で、今年も1回目の相談会が終わってジタバタしている。

就学相談会は何度やっても難しい。
27年続けても、少しも慣れない。
100回以上やっても、何を話していいのかわからない。
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