ワニなつノート

あーちゃんがいく (その4)

あーちゃんがいく (その4)


昨日、Haruくん、あーちゃん、Naoちゃんの
お母さんの言葉を載せました。
夜、家に帰って、《ミーナわーるど》をみると、
「ミーナちゃん、早く帰って」という
お兄ちゃんの言葉が飛び込んできました。
考える前に泣きそうになりました。
やっぱり、そうなるよねと、思いました。

妹のために、ずっと心配してきたお兄ちゃん。
両親が妹のために集会にいき、話し合いにいき、
署名を集めるそばで、何カ月も何年も誰よりも
妹の心配をしながら生活してきたお兄ちゃん。
妹が同じ保育園に通えるようになって、
世界中で誰よりも一番うれしかったお兄ちゃん。

…でも、パパが毎日保育園にいるのは、予想外だよね。


お兄ちゃんに、「ミーナちゃん、早く帰って」と言わせたのは、
この社会の貧しさです。
障害をもつ子どもへの理解の貧しさ。
配慮の足りなさ。
子どものこころや子どもの成長への、理解の貧しさ、
そのものだと感じます。

子どもの世界、子どもの関係、
子どもの成長にとって、「障害」とは、
だれか子どもが「歩けない」とか、
誰か子どもが「話せない」とか、
誰か子どもが「呼吸がうまくできない」とか、
そんなことではないのだと思います。

どんな障害や病気を抱えていても、
いまここで同時に子ども時代を生きている子どもにとって、
それは、ただあるがままの世界そのものであり、
そんなのあたりまえの世界であり、
その当たり前に生きている「自分たち子ども」を、
大人がどんなふうに見守り、信じ、愛していてくれるか。

それを、さえぎるものを、
「障害」と感じるだけなのだと思います。

ただ、あるがままの、子どもたちを信じて、見守り、
子どもが自分で世界を見つけ育ち合うことを見守ること。
そのための、すべての子どもへの配慮が求められているのであって、
ひとり「障害」のある子どもの「世話」をすることが、
障害への配慮や介助ではないです。

「できる」「できない」を、
ひとりの子どもの孤立した能力だと思っている、
この社会の貧しさをあらためて感じます。

ミーナちゃんに「障害」があること。
お兄ちゃんにとって妹に「障害」があること。
それは、二人にとっての人生の希望をじゃまする
障害ではありません。

その「障害」よりも、大人たちの社会の子ども理解の貧しさこそが、
何よりすべての子どもたちへの「障害」になっていると、
私たちはいい加減気づかないとね。


     ☆ (o|o)  ☆


その言葉があまりに絶妙のタイミングだったので、
もしかしたら、お兄ちゃんには超能力があって、
ひそかにこのブログを読んでいるんじゃないかと、
本気で思いました(>_<)
こんなんじゃぜんぜん足りないよ。
もっと、ちゃんと、書いてよね。
そんな声が聞こえます(・。・;

お兄ちゃんも、あーちゃんも、
本当に子どもらしい子どもで、大好きです(^^)v


    □     □     □     □


《1月28日》

【先生からもらったんだよ】

一年生の頃からみんなの勉強にはついていけない娘に、
娘の勉強として市販のドリルを進めていましたが、
積極的に…、というよりは、どちらかと言えば、渋々…。
という風でした。

3学期から毎日ではないものの、
先生の余裕のある時には、
そのドリルの中の一枚を持ち帰ってきます。

これまでは連絡袋だったり、
ランドセルの教科書とノートの間だったりに挟まっていたので、
担任の先生が娘に対して指導してくださっているのだな、
とありがたく思いながら見ていました。

昨日は娘がその日にやったドリルの一枚を私に見せながら、
「はなまる♪ 先生にもらったんだよ。」
と誇らしげで嬉しそうな顔をしています。

学習に関して、こんなに嬉しそうに話してくれることは
これまでにありません。
自分のがんばりと先生がきちんと向き合ってくれることを
素直に喜んでいるようです。


娘に学習させることは大変なことだと思います。
さっきまで自分の席で集中してノートにお絵かきしていると思ったら、
いつの間にか教室から飛び出していってしまったり、
具合が悪くなってしまったり、寝てしまったり、
指導できる時間は先生の手の空いている(余裕のある)時間と
娘の集中している時間の両方を考えると
ほんの一瞬だろうと思いますが、
先生もがんばってくれているんですね。

おかげで娘はがんばると褒めてもらえる嬉しさを、
はなまるを眺めながらかみしめているみたいです。


 □     □     □     □

《yo》

ブログの世界のなかのあーちゃんが、
「障害」のある子から、「ふつう」の子になっていくのを、
ひしひしと感じさせてもらっています。

障害があるからとか、ないからとかじゃなくて、子どもは子ども。

だから、周りの人がふつうにつきあえば、
子どもは「ふつう」の子どもの顔を見せることができるのでしょうね。

いいこと、発見した気がします。
ありがとうございました(^^)v


*yoさん*

家庭の中ではずっと前から、
「ふつうの子」だったんですけどね(苦笑)

毎日学校へ迎えに行くと、先生の目を盗んで、
「今日は○○して~みんなを笑わせてたんだよ。
でも 先生に怒られた(笑)」
なんていう密告に、ほくそえんでいます。

いたずらっ気たっぷりの面白いこと大好きな子供たちが
楽しんでいないわけがありませんよね(笑)

帰りの会の時、私は廊下で待っていますけど
時々娘の声が聞こえてきたりして
すっかりクラスの一員です。

私が付き添いしていた時は
本当の意味でクラスの一員じゃなかったんですね。



    □     □     □     □


そうそう、お兄ちゃんのことば=「保育園にいるパパ」が
読めるのは以下のアドレスです(^^)v

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