12月に、ホームのことについての講演をすることになりました。
就学相談会や「どの子も地域の学校へ」という話なら、百回以上同じような話をしてるからいいんだけど、ホームのことは何をどう話せばいいんだろう?
……という訳で、自分が何を思っているのか、ここで書いてみることにしました(>_<)
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《いまの仕事》(その1)
「援助ホーム」という名の通り、「自立のための援助」が私の仕事です。
「自立とは何か」「援助とは何か」ということについて、「自分なりの考え」を持っている大人として、私はここにいます。
そして、自立のための援助を行うために、子どもと良い関係を築き、子どもの気持ちを受けとめ理解しながら、この社会で生きていくためのスキルや常識などを伝えていくことになります。
ただし、自立のために必要な社会性、大人になるための観察学習や体験は、学校に通い、職場で働くなかでこそ身につきます。
特に、中卒で就職した子どもたちや、働きながら定時制に通う生徒たちとのつきあいから感じてきたのは、仕事をすることによる「自信」と「成長」でした。
だから、私の仕事はその「働く意思と覚悟」を支える中身(安心して眠れて、食べれて、話せて、ありのままの自分でいられる住処)を、支えることなのかなと思います。
そして、子どもが成長し仕事を続けること、お金を貯めてホームを出てアパートを借り、自立生活ができるようになること、それがこの仕事の目的であり、成果ということになります。
でも、そういうふうに仕事の中身を説明してみると、何か大事なことを忘れている気になります。
もちろん、子どもが成長し、自分らしい人生を歩んでいけるようにということを目指していることに間違いはありません。
ただ、それを仕事の目的というと、私の仕事の喜びは、目的が達成され、仕事の成果が目に見えるとき、ということになります。
引っかかるのはここです。
この仕事が「目指すもの」は、子どもの「自立」に間違いはないのですが、私が感じる仕事の喜びは、「いま・ここに・いっしょにいる・こと」なのです。
「今日は、寒いね」「寒いね」、
「おなかすいたね」「そうだね」、
「これおいしいね」「おいしいね」という、
「理解」という言葉を使うまでもない、ささいなことの積み重ね、一緒に暮らしているからこそ積みあがるもの。
テレビを見ながら、「いいね」と感じる行動や言葉が同じだったり、笑うツボが同じだったり、事件のニュースを聞いて自分の考えを伝えたときに、「そうか~」とすっと了解してもらえる瞬間とか、そうしたささいなお互いを分かり合える瞬間瞬間が、私の生きている喜びだと思えるのです。
たぶん、「自立」という「将来の姿」を目的にしてしまうとき、「いま」がただの通過点になってしまうように感じているのかもしれません。
私のなかで、「将来の自立している姿」のこの子と、「いまの姿」のこの子と、どちらも「出会えてよかった」という同じ喜びのなかにあります。
いま生きていることが大事で、その大事さを続けていくことに意味を感じてもらえるように。
安心していまの自分と向き合える時間と居場所と人とのつながりを、ここで見つけてほしい。
自分が大事にしたい自分や、大切にしたいものをみつけて、「いま」の自分からそれがゆっくり広がっていけるように。
「自立」とか「社会とのかかわり」には、いろいろな形があるのだから。
私は、『「いま」を認めないかぎり、「次ぎ」を認めていくのは難しい』という石川先生の言葉を忘れないようにしなくちゃ(o|o)