ワニなつノート

子どもの虐待死を悼み…

子どもの虐待死を悼み…



昨日は、『第11回子どもの虐待死を悼み命を讃える市民集会』に参加してきました。

私が大学に入学した年、「養護学校」が「義務化」されたことで、私はそれまで「就学猶予・免除」という形で、社会から「見えなく」させられていた子どもたちのことを意識するようになりました。

「見えない」子どものことを心配する人はいません。
「見えない」子どものことを考えることはできません。
まず、そこに「子どもがいる」ことが見えない限り、その子どもが泣いていることや消えそうになっていることを気づくことはできません。

私にとっては、就学猶予をされていた障害児が、最初の気づきでした。
それから、できるだけいろんな子どもたちのことを知りたいと思ってきました。
知らないこと、見えないことで、その子たちを「いないことにする」社会の一人にはなりたくないと思いました。

あれから30年余りが過ぎました。
たくさんの「見えない子ども」(社会が見なかった子ども)たちの問題が「見える」ようになりました。


親が自殺したことを言えなかった子どもたちのこと。
小児がんや白血病の子どもたちのこと。

在日韓国朝鮮の子どもや帰国した中国残留日本人の子どもたちのこと。

虐待された子どもたち。
なかでも性的虐待を受けた少年たちのこと。

聞こえない親をもつ聞こえる子ども=「コーダ」(CODA)と呼ばれる子どもたちのこと。

…先日は、親が統合失調症になった子どものための絵本を買いました。
私が見えていなかった子どもたちの問題は無数にあります。

「累犯障害者」のこと、アルビノの子どもたち、
顔にアザのある子どもたち、「指導死」を迫られた子どもたち、
性分化疾患や性同一性障害の子どもたちのこと…。


虐待で親から殺される子どものことは、小さいころから知ってはいました。
それでも1998年に出版された「見えなかった死」という本でみた1996年に虐待で死亡した子どもが86人、1997年には104人、という数字はショックでした。

それから数年後、初めて参加した「子どもの虐待死を悼み命を讃える市民集会」は、改めて自分が知らないことで、「見えない子ども」のことを忘れて暮らしている自分に気づきました。
集会では、1年の間に虐待で亡くなった子どもの名前と年齢とその状況が、ひとり一人読み上げられます。

「2月※日、○○ちゃん、1歳2カ月、母親から首を絞められてなくなりました。」というように。月日を追って一年間に亡くなった子どもたちの名前と亡くなった状況が読み上げられます。
その子がこの世に生まれたこと、生きていたこと、そして虐待によって命を奪われたことを忘れないように。

でも、読み上げられる子どものなかには、幾人も、「名前は分かりません」という子どももいます。
読み上げられるのは年齢と亡くなった状況のみです。
追悼の場においてさえ、「見えない」まま、名前さえ知られないまま、の子どもたちがいます。

私たちの暮らしている社会は、まだこういう社会だと、私は覚えていたいと思います。

平成23年4月から24年3月までの一年間に厚生労働省が把握した子ども虐待により死亡した事例は97人です。《心中含む》


子どもたちの味方でいたいと思うなら、
子どもたちの姿が見えていなくてはいけません。

子どもたちが、何に苦しんでいるのか、
何に困っているのかに、耳を傾けなくてはなりません。

この社会から「見えなく」されている子どもたちのことを、
見える人、聞いた人が伝えることで、
いつか忘れられた子どもがいなくなるような社会、
どの子も分けずにすむ社会が訪れることを願い。
合掌。
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