《分かりますかあ》
68歳の胃がん末期の山中健さんが入院となった。
胸腹水貯留し、著しくやせ、血小板減少著明。
全身の点状出血。
「早い」と判断する。
がんの末期の患者さんが、他の病院から紹介され
入院となって一週間で亡くなるということがある。
せめて一ヶ月の交流があればと悔やむが、
事情はあり、涙をのむ。
こんなときは、サッカーグランドに
ボールが投げ込まれた場合を想像する。
次々に押し寄せる敵をかわし、仲間にパスをし走り抜け、
ボールをゴールに送り届ける。
患者さんのこの世の時間はもうほとんどない。
「先生、山中さんからしたいこと、してほしいことを聞いてきました」
と受け持ちナース。
一番は入れ歯を調整してほしい、
二番は家に帰って愛犬のノロノロに会いたい、
三番目は風呂に入ってみたい、だった。
急げ。
知り合いの歯科医にすぐ電話した。
夜には来て診るとのこと。
その日のうちに、中心静脈栄養のラインを挿入した。
漢方薬混じりのうがい液と褥瘡処置で、痛む体に対応した。
「ここは、ただ死を待つだけなのかと思ったら、違うんですね」
と二人娘の姉。
誤解、誤解。
手術と放射線治療はできないが、大抵のことはできる。
入院二日目に車いすで屋上散歩。
その後、胸水穿刺。
三日目にお風呂に入ってもらった。
ビワの葉湯。
「いい湯でした」だった。
自慢のひげは剃らず。
山中さんは十五年前に妻と別居。
以後、娘さん二人との三人暮らし。
四日目。血小板補給。
受け持ちナース、家を下見に。
五日目。ノロノロが病室にやってきた。
主人の顔をなめ回した。
「ワーン」が病棟中に響いた。
山中さん、いい笑顔だった。
六日目。血圧が下がり始めた。
病室には姉娘一人しかいない。
「妹は今、母を迎えに」
最後の呼吸になろうとした時、病室の戸が開いた。
「あなた、幸枝です。分かる? 分かりますかあ?」
姉妹二人だけでなく三人で見守った分、病室が温かかった。
たった六日のサッカーグランド・ランニング。
『野の花ホスピスだより』
(徳永進 新潮社)より。
☆ ☆ ☆
一週間で亡くなっていく人に、
してあげたいこと、
してあげられることが、こんなにもある。
私たちが子どもたちに、
してあげたいこと、
してあげられることは、限りなくある。
「特別な支援」なんかじゃなくても、
ふつうの生活のなか、ふつうの人生の中で、
お互いに思い合えること、できることが無数にあると、
私は思う。
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