「介助」を通して、私は何をしてきたのか
「介助」という言葉を辞書で引くと、
『老人や病人の身の回りの世話をすること。手助けすること。』
とあります。
老人や病人の「できない」ことを、
「できる」人が代わりにやってあげることが「介助」のようです。
たとえば食事介助なら、一人で食べることができない人の
手助けをすること、になります。
それが病室での介助なら、まあそうかなぁと思います。
でも、私が考えたいのは、「普通学級の中の介助」です。
「食事介助」という「行為」そのものは、
病室でも教室でも同じかもしれません。
でも、私が考えたいのは、クラスの子どもたち
みんなを含みこんでの「介助」です。
障害児の「介助」だから、他の子どもたちには関係がない
なんてことはありません。
教室にいる大人は、担任と介助の二人しかいないのですから、
そこにいる大人の在りようは子どもたちに
たくさんのことを伝えています。
普通学級のなかで一人では食べることができない子どもや、
言葉を話さない子どもの「介助」をすることで、
私は何をしてきたのか…。
「できないから『介助』ではない」
ずっと前から、私はそう思ってきました。
リサが「できない」から、「できる」ようにするために
「介助」に入ったのではありませんでした。
直史が周りに「迷惑」をかけるから、
それを防ぐために「介助」に入ったのではありません。
康治の「できない」ことを、代わりに「してあげる」ために
入るのではありませんでした。
その子に「できない」ことがあっても、
その「できない」ままの姿で堂々とそこにいて欲しいから、
介助に入ってきたのでした。
この子が障害のために「階段を上がれない」とき、
2階に車椅子と子どもを運びながら、私は何をしてきたのか。
階段の上の友だちのいる所に行きたい気持ちを、
「誰でもそう思うよね」とその子に伝え、
まわりの子どもたちにも「あたりまえのことだよね」と伝えること。
子どもが、自分には障害があるから仕方ないと
あきらめてしまわないように。
自分のありのままの姿で、できないこと、
自分の思うようにはいかないこと。
それは、誰にでもあること。
だけど、障害のために「あきらめなければいけない」ことと、
「あきらめなくていいこと」を、ちゃんとこの子に、
そして周りの子どもたちに、伝えたいと願ってきました。
友だちと同じように、自分の足で階段をかけあがること、
それはあきらめるしかないことの一つです。
でも、誰も車いすを運んでくれないから、
2階の図書室でみんなと一緒に過ごすことができないのは、
「障害」のせいではありません。
「0点でも高校へ」は、何よりそのことを表現しています。
テストが0点であっても、高校生になりみんなと同じように
充実した高校生活を送っている子はたくさんいます。
そんなふうに、その子がただ「できない」こと以上の
あきらめを受け入れたりしないように。
自分のできないことに、
自分で受け入れなくていい寂しさを感じないように。
そんなことをいつも思っていました。
障害のあるふつうの子どもの、
「できない」と「できる」の間に入り、
私は何をしてきたのか。
ようやく分かってきたことは、
この子の「私」が、みんなとの「私たち」から、
こぼれ落ちないように、ということでした。
一人の子どもの「私の毎日」が、
いつしか「私たちの毎日」に変わっていく日々を、
私は子どもたちのすぐそばで見てきました。
小学校の入学式。
「わたしのがっこう」から子どもたちの生活は始まります。
そして、その日の帰りにはもう、
「わたしのせんせい」は「わたしたちのせんせい」にふくらみ、
「わたしのクラス」は「わたしたちのクラス」に広がっています。
「わたしのがっこう」と口にするときにも、
その言葉は「わたしたちのがっこう」という
豊かな広がりをもつ言葉に変わっています。
遠足・運動会・合唱祭という一つ一つの行事が、
「わたしの楽しみ」と同時に、
いつも「私たちの楽しみ」に重なっていく姿を見てきました。
例えばピストルの音が恐くて1年生の運動会に
参加できなかった子が、何年か後には、
みんなのなかのどこにいるのか見つけられなくなるほど
溶け込んでいく姿がありました。
そんなふうに一人の子どもの「わたしの学校生活」が、
「わたしたちの学校生活」と感じられるように、
そのためのつなぎになりたいと、わたしは願ってきました。
たとえば、車椅子を押すことも「つなぐこと」でした。
たとえば、遠くに逃げ出した子の手を引いて、
みんなのそばに連れてくることが「つなぐこと」でした。
時には、みんなから離れてぽつんとしている子どもの名前を
遠くから呼びながら、私が動かないことで、
見かねた子どもたちが走っていくことが、「つなぐこと」でした。
その子が「いない」ことを誰も気にしなくなることで、
「クラス」からこの子一人がこぼれ落ちないようにと願いつつ、
同時に私がしてきたのはこの子の「わたし」が、
この子の「わたしたち」に育つことを願っていたのでした。
そのために、担任や周りの子どもに気を遣う
「監視」のような「介助」ではだめでした。
そうならないように、何度も何度も自分に言い聞かせてきました。
本人の気持ちを聞かず、介助者が代わりに
「やってあげる」ことはしないように。
たとえ分かりきったことでも、本人の気持ちを確かめるために
声をかけること。
それは、子どもの答えを聞くための言葉であると同時に、
周りの子どもたちが聞くための言葉でもあり、
私が自分に聞くための言葉でもありました。
子どもの絵や習字の作品も、
介助者の作品になってしまわないように。
時には、周りとの「トラブル」を
未然に防いでしまってはいけない場面もあります。
周りに迷惑をかけることも、周りの人たちを巻き込むことも
介助の仕事です。
子どもと子どもをつなぐこと。
子どもと子どもの出会いを「媒介する助け」が介助でした。
周りの人が、関わりたくないことを遠ざけてしまわないように。
援助が必要なこの子の生活も含めて、
「私たちの学校生活」だと了解されるように願ってきました。
なにより、この子の≪わたしが生きる≫ことが、
≪わたしたちが生きる≫ことでもありますようにと
願いながら、私はそこにいました。
偶然、同じ教室で出会った同じ年の子どもたちと、
毎日顔を合わせ、話したり、遊んだり、
毎日、見たり、聞いたりしながら、日々を積み重ねていくこと。
「授業という生活」を積み重ねていくこと。
「この子には障害がある」と言葉で理解してもらうのではなく、
あたりまえの日常の積み重ねをさりげなくつなぐために、
間にいたのでした。
小学校2年生の4月初めに亡くなった
佳ちゃんのお母さんから、授業の様子を聞いたことがあります。
佳ちゃんは心臓病もあり、目も見えないし耳も聞こえないかのように
言われる重い障害がありました。
その佳ちゃんの隣に座った子どもは、授業中、
佳ちゃんと手をついないで授業を受けていました。
誰が始めるともなく、手をつないで受ける授業は始まり、
隣に座る子どもが変わっても
手をつないで授業を受ける姿は変わりませんでした。
それは「わたしが授業を受ける」ことが、
「佳ちゃんといっしょにみんなで授業を受けること」であり、
「私たちが授業を受ける」ことになっていたのだと、
いまはよく分かります。
大人の介助者にはどうしたってかなわない世界がそこにあります。
その時、そこに、偶然居合わせた子どもたちにとってだけの
宝物のような日々があり、
そこには「障害の理解」という言葉の入る余地のない、
私たち大人の知らない世界があります。
その世界を一度も見たことのない人には、
想像することも信じることもできないかもしれません。
その世界は「ことば」で伝えることはできません。
子どもだけが、子どものときにだけ出会える世界です。
その世界を壊さず、つなぐためには、
子どもたちの出会いと関係をじゃませず、
よけいなことをしないことが
普通学級の介助の専門性なのでしょう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
わたしはみんなといっしょにいるいっしゅん、いっしゅんを、
こころからたのしんでいるのだから、
たとえ、わたしがことばをはなさないとしても、
それはたいしたことじゃない。
わたしはきのうのじゅぎょうでならったかんじも、
ひきざんもおぼえてないけど、
それでも、ここにいてもいいですか。
ここでみんなといっしょに、きょうしつにいていいですか。
みんなといっしょに、わたしにもべんきょうをおしえてほしい。
あしたにはおぼえていないかもしれないけど、
きょうはここでいっしょにべんきょうしたい。
みんなとおなじに、わたしをみつめてくれるまなざし。
なまえをよんでくれるこえ。はなしかけてくれるこえ。
わたしにむけられるしたしみのきもちが、
わたしにはとてもたいせつなものだから。
わたしは、ひらがなもよめなくて、
たしざんもひきざんもわからないけど、
ここではみんなからきらわれたり、
せんせいにじゃまにされたりしなくていいんだって。
そうおもえるだけで、わたしはあんしんしてここにいられる。
わたしがわたしをたいせつにおもうためにひつようなのは、
わたしがこころからそうかんじること。
わたしのかんじょうは、わたししかかんじることができないから。
わたしがわたしをたいせつにおもえますように。
わたしがせんせいのいうことをおぼえられなかったり、
なんどもおなじしつもんをくりかえしたりしても、
おこらないでほしい。
せんせいのいうとおりにできなかったとしても、
みんなといっしょにいるのはむりといわないでほしい。
せんせいのいったことをわすれてしまったとしても、
わたしはそんなにひどいことをしているのだろうか。
わたしはみんなといっしょにここにいることが
ほんとうにうれしいし、
ここにいるいまをじぶんいっぱいにたのしんでいる。
だから、そのことをぜんぶおぼえていないとしても、
わたしにうれしいきもちがなかったことにしないでほしい。
たとえ、わたしがたのしいおもいでをわすれてしまったとしても、
かけがえのないたいせつなじかんではなかった、
ということにはならないのだから。
わたしはいつだって、わたしだってこと。
それはわたしがひとりぼっちじゃなく、
みんなのなかにいたから、かんじられたこと。
みんなのなかには、おしゃべりなこいれば、
せんせいにきかれても、うまくはなせなくて
うなずくだけのこもいる。
ぴゅーってかぜみたいにはしるこもいるけど、
わたしのとなりでそらをみるのがすきなこもいる。
いつもテストは100てんだけど、
100てんよりサッカーのほうがだいじなこもいる。
わたしはそんなみんなのなかにいたから、
わたしはわたしだってわかった。
まいにち、まいにち、あめのひも、はれのひも、
わたしはいつもわたしだった。
ひとりでいたら、わたしはいまのわたしと
であえなかったとおもう。
できないことがいっぱいあって、くるしかったこともある。
どうしてわたしだけ100点とれないんだろうって、
なやんだこともある。
がっこうのかえりみちで、おとこのこにおされて
みずたまりにころんだときはかなしかった。
でも、そんないやなことをわすれるくらい、
たのしいきもちや、みんながいてくれてうれしいきもちが
わたしのなかにはあふれている。
わたしはわたしがあんしんできる人たちのなかで、
わたしのままで、いまとおなじに、
まいにちをたのしみながら、
わたしのきぼうをいきていけるとおもう。
わたしがいまのまま、
ことばをうまくしゃべれるようにならなくても、
わたしがいまのまま、
ひらがなもかんじもおぼえられなくても、
わたしがいまのまま、
たしざんができないとしても、
わたしはわたしだから。
わたしがことばをうまくしゃべれないままおとなになっても、
わたしがひらがなをかけないままおとなになったとしても、
わたしがたしざんのできないままおとなになっても、
わたしはいまとおなじわたしのままでいるんだとおもうの。
だから、いまのように、わたしのはなしたいきもちを
きいてくれるなかまがいれば、
わたしはいつもわたしをいきていけるとおもうの。
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