【8・門川紳一郎】
1992年5月。
門川紳一郎さんは、ニューヨーク大学の大学院を卒業しました。
専攻は「デフネス(聴覚障害)リハビリテーション」
盲ろう者が、ニューヨーク大学の大学院に進んだのは初めてで、
卒業式の模様は、全米のテレビニュースで伝えられました。
門川さんは1965年、日本生まれの日本育ちの日本人です。
生まれつき目は見えず、小学生になるころに聞こえなくなり、
日本語の点字、日本語の手書き文字や触手話で育ち、
一人アメリカに渡り、英語とアメスラン(アメリカ手話)を
学んで大学院を出る…。
私には、その過程も苦労も、何もかもが想像もできません。
福島さんの著書では8ページ足らずの短文で
紹介されているのですが、
そこには、宝物の情報が詰まっています。
盲ろう者として大学院を出たという、
「成功」地点から、その人に出会うと、
その人の苦労を、本当の「苦労」として聞くことは
難しくなります。
でも、福島さんと同じように、
門川さんも、果てしなくつづくような壁を、
いくつもいくつも消してきたのでした。
☆ ☆ ☆
門川は、盲学校時代のことをあまり語りたがらない。
いやな思い出が多かったようだ。
「コミュニケーションは手書き文字でできたけど、
先生も友達もあまり話しかけてくれんかった。」
「授業はマンツーマンが多かったけど、
僕はほんまは皆といっしょに受けたかったなあ。」
他の生徒と同じ授業の場合、
時には友達が手書き文字で通訳してくれることもあったが、
ほとんどは「ほっておかれた」と言う。
「門川君は教科書を読んでなさいと言われてな。
よく授業中、一人で教科書を黙読させられた。
すぐ横で、他の友達が楽しそうに授業受けてるのに、
僕には何もわからん。ほんまにつまらんかった」
☆ ☆ ☆
門川さんの子ども時代を知る人は、
盲学校は彼の「授業」を保障してくれたかもしれないが、
「コミュニケーション」は保障してくれなかったね」
と話したそうです。
しかも、大学に行きたいと思っていた門川さんに、
盲学校の教師は「無理だ」と言いました。
「大学に行きたい」
「大学に行くための助け(手立て)がほしい」
そう、表現した門川さんの前には、
いくつもの壁があります。
盲ろうの高校生が、盲学校の教師に
「無理だ」と言われてしまえば、
ひとりでその壁を崩すのは容易ではありません。
その壁を消すのは、やはり「誰か」の「肯定」でした。
1983年の春、門川さんは、
福島さんが都立大に入学したニュースを見ます。
門川さんが高等部3年の時でした。
その一つの情報だけでも、「無理でない」ことが伝わります。
しかも、その年の夏、門川さんは福島さんに出会います。
☆ ☆ ☆
「やあ、こんにちは。これで読めるかな?」
「読めます」
私がいきなり打った指点字を、門川はたやすく読みとった。
そして、私に打ち返してきた。
・・・翌年。
夜、二人で指点字で語り合った。
あっという間に2、3時間が過ぎたころ、
「僕はこれまでの人生で、
こんなに長い話をしたことがなかった」
と門川がポツリともらした。
☆ ☆ ☆
先に大学生になった福島さんとの出会い、
それだけで、門川さんの中では、
いくつもの壁が消えたことでしょう。
「当然、通訳を求めていいのだ」
「周りが訳さないのが悪いのだ」
「情報が伝わっていないのは、
周りの人間がその責務を果たしていないことなんだから」
それらの佳子さんの言葉が、
福島さんを通して、門川さんにもいっぱい、
いっぱい伝わったことでしょう。
「情報とコミュニケーションの希薄な子ども時代」
を過ごした門川さんの生活が変わったのは、
85年に桃山学院大学に入学してからのことでした。
「彼を支援するグループが作られ、
メンバーが大学の講義やゼミの通訳を受け持った。
クラスのコンパで夜中まで友達と騒いだり、
陸上部の練習に出て汗を流したこともある。
大学入学後、門川と会うたびに、
彼がたくましくなっていくのがわかった。」
門川さんが、大学生になってようやく経験できた
「ふつうの学生生活」。
それが、門川さんに仲間とふつうに楽しむことを教え、
たくましくなっていくことにつながるのだとしたら、
それは、小学校でも、中学校でも可能だったのだと、
私には思えるのです。
福島さんにとっても、門川さんにとっても、
ふつうの大学でのふつうの生活が
とても大きな意味を持っています。
大学は「盲学校」ではありません。
つまり、「盲ろう」という障害のある普通の子どもであっても、
もっとも必要としているものはコミュニケーションであり、
それを保障する「通訳」です。
だから、「通訳」さえ保障されれば、
地域の学校の普通学級で学ぶことができるはずなのです。
肢体不自由の子どもに移動等の介助者を保障すること。
人工呼吸器をつけた子どもや、気管切開をしている子どもに、
看護師が必要なら、看護師を配置すること。
エレベーターが必要な子どもがいたら、
エレベーターを設置すること。
そうして、子どもの生活に必要な環境を整えさえすれば、
どの子も、当たり前に地域の学校に
通うことができるはずなのです。
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yo

ishizaki
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