そのまま何事もなかったように、私は4年生になり、
5年、6年、中学と進んだ。
あの日のことは、忘れて生きた。
…つもりだった。
でも、いま振り返っても、いくつかの「場面」で、
その時々のわたしは、あの日のことを忘れていなかったのがわかる。
中学校はA組からE組の5クラスがあり、私は1年E組になった。
隣に「F組」があった。
E組とF組の間の廊下には、見えない壁があり、
誰もその壁の向こうには行かなかった。
私は誰よりもその「壁」を意識していた。
近づかないように。
踏み越えないように。
意識していることさえ、誰にも気づかれないようにと願った。
私は、F組の生徒の顔を一人も思い出せない。
生徒の顔どころか、その教室に何人の生徒がいたのか。
男子がいたのか、女子がいたのかすら分からない。
私の記憶には、F組の生徒の影も形もない。
「F組」は特殊学級のクラスだった。
私はいつも、自分が「仮に」ここにいるのだと
どこかで感じていたのかもしれない。
ちょっと油断したら、
ここに自分の居場所はなくなるかもしれない。
ここは、本当は自分がいていい場所ではなく、
試されている場所のように感じていた。
だから、「そこ」には近づかないように、
絶えず細心の注意を払って生きていた。
もちろん、友だちと遊んでいるときや、
部活に生きがいを感じて過ごした毎日に、
そのことを思い出したり考えていた訳ではない。
ふだんは忘れて暮らしていた。
ただ、テストが返されるとき、通知票を受け取るとき、
F組の先生とすれちがうとき、
そんな場面でわたしはいつも「そのこと」を意識して生きた。
中1の1学期、初めての通知票をもらい、
みんな廊下で大騒ぎしているとき、
隣のクラスの出来のいい二人が通知票を見せあっていた。
二人とも隠したり、通知票の中身を気にしているそぶりがない。
私にも普通に手渡して見せてくれる。
中には4と5が並んでいる。
こんなに出来がいいから、
この二人はおおらかでいられるんだと思った。
たぶん、そんな言葉を私は口にした。
すると、彼が言った。
「こんなのはただの数字だからな」
その言葉と声と口調は新鮮だった。
素直に私の心の中に入ってきた。
嫌みには聞こえなかった。
生まれて初めてきく類の「ことば」だった。
それまで、私は誰もが、テストの点数や通知票の数字に一喜一憂し、
その評価を気にするのが当たり前だと思っていた。
それを、「ただの数字」だと言い切る同級生がそこにいた。
「大人」だと思った。
私は身長も小さく、彼らは学年でも一番高い二人だった。
その身体の違いのまま、自分が子どもなんだと感じた。
それが「8歳の日」の次に訪れた、
特別の「12歳の日」の出来事だった。
学校の成績なんか、ただの数字だ。
自分の価値、人間の評価とはぜんぜん関係ないんだと、
中1の彼が中1の私に教えてくれた。
彼は、いま田舎で、小学校の先生をやっている。
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