《就学相談会と子どもの気持ち》
「分けられる」子どもの気持ちを考えるという発想がなかった、という感想を話してくれる人がいる。
子どものために最も良い教育の場はどこか。子どものために一番いい教育を受けさせてあげたい。子どものために、親にできる精一杯のことをしてあげたい。それだけを考えていたということらしい。
そもそも、「分けられる」という考えもなかった、という人もいる。「分けられる」のではなく、その子に最適な環境を「与える」のだと思っていたと。
病気や障害の状況によっては、生まれた直後から、有無を言わさずに引きはなされ、分けられることがある。でもそれは、子どもの命を助けるため、守るためだった。親から子どもを「分ける」ことであっても、それは命を守るため。子どものため。そう、信じられてきた。
医療の発想で言えば、親子でも家族でも「分ける」ことは当たり前のことだった。助けるための処置は、子どもの気持ちに優先する、という医療があった。
その医療の後には療育が続く。子どもの感情、子どもの気持ちより、先に大事なことがある。そう思わされる場面は圧倒的に多い。
「子どもの気持ち」を大事にしない「医療と教育と福祉」の歴史が長すぎたのだと思う。
◇
私たちは「感情」がどれほど大事かを学んでこなかった。
その証拠に、「自尊感情」「自己肯定感」という「感情」の話をしているのに、いつのまにか「できる・できない」の話にすり替わることが多い。
「できる」体験をすれば、「自尊感情」が高まる。自分も「できた」と感じれば、自己肯定感が育つ。その他いろいろ。
自分の能力や行動の「できる・できない」「良し悪し」を、「評価」されることが、「自尊感情」につながるのではない。
もちろん誉められることは嬉しい。
でも、「嬉しい感情」だけを認めるのは「自分の大事な感情」の半分でしかない。
できなくて「悲しい」「悔しい」「自分に腹が立つ」、そういう感情も自分の大切な感情だと受けとめられることが、「自尊感情」の前提だ。
自分の「感情」が、どんなものであれ、自分自身の感情として、まるごと受けとめられることが、「ああ、自分は自分のままでいい、自分のありのままでいい」という「自尊感情」につながるのだ。
そのためには、だめな自分、未熟な自分、できない自分も、ちゃんと受けとめてくれる人が必要なのだ。
できる、できないという評価とは別の、「いること」の揺るぎない評価が必要なのだ。
(つづく)
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