ワニなつノート

「ここにいる私」と「…できる私」   (その1)

「ここにいる私」と「…できる私」   (その1)


《就学相談会》



「…コミュニケーションが苦手だから…」
「…まだひらがなも読めないし…」
「…45分も座っているなんてできないと思う…」
「…分からない授業を聞いているのはかわいそうかな…」

毎年、就学相談会で聞かれること。
三十年前もいまも、6才の子どもの親が言葉にする不安は同じです。

若いころの私は、その不安の一つ一つを打ち消すのに必死でした。
「言葉なんて話せなくてもコミュニケーションはできるさ」
「先生の授業の言葉は分からなくても、子どもたちの生き生きとした反応はわかる。子どもたちと先生との授業という生活が、いかに生き生きとしているか、楽しさや真剣さや笑いや緊張を一緒に感じることがどれほど大切か」

そんなことを、必死で「説得」しようとしていた時期があります。
ここで、親の迷いをなくさなければ、子どもの一生が左右されることになる…。
その子どもにとって、これが唯一のチャンスかもしれない…。
若気の至りというか傲慢というか(・.・;)

でも、ある時期から、「不安や心配が解消されれば普通学級を選べるわけじゃない」らしい、ということに気づきました。
そもそも、何の情報も持たないときに、勉強の不安やいじめのことや、心配だらけのさなかに、「この子をみんなといっしょに一年生にさせてあげたい」と、「思ってしまう」ところから始まっているのです。

そうでなければ、新聞や情報誌の小さな「案内」に目がとまることもないでしょう。

そして、就学相談会に参加したとしても、結局のところ「不安」や「心配」をあふれるほど持ったまま、入学式を迎えるのです。

そんな不安を抱えながらも、「普通学級」に向かうのはどうしてなんだろう。
普通学級なんて無理だと考えながら、普通学級と思ってしまうのはどうしてなんだろう。

親自身が、そこに確かな意味を感じているのでなければ、こんなふうに毎年同じ思い、同じ迷いを持ちながら、子どもへの同じ「信頼」を感じてこなかったような気がするのです。
それはまた、「障害」とか「できる・できない」とは、別のことのような気もします。

(つづく)

コメント一覧

yo
いくつもコメントいただいているのですが、ここ数か月体調が悪く、ほとんど流したままですみません。

2年ぶりに「ワニなつ」のこと、聞かれましたが、もともと会報のタイトルが「ワニのなつやすみ」といいます。
…で、そうなると「ワニのなつやすみ」ってなに?となるので、以下のページをどうぞ。

http://sun.ap.teacup.com/applet/waninatu/201006/archive?b=24

森 晴子
初めまして。札幌の森 晴子と申します。2番目の子ども・さく
ら(12歳)が脳ショウガイです。現在地域の小学校普通クラス
の6年生です。札幌の会『どんなにショウガイが重くても地域の
学校へ』に入っています。昨年友人がワニなつノートを教えてく
れて,度々読んでは、すごい・・その通り・・!と声を上げてい
ます。ところで、知りたいのですが、ワニなつノートの名前の意
味はなんでしょうか。
ishizaki
普通学級で親は自分がうまくやっていけるか、受け入れてもらえるのか、とっても不安で心配になります。
相談先の教育委員会に行くと、いわゆる専門家に『普通学級より、子どもに適した場所があるよ』なんて親切そうに言われると、疑問に思いながら、特別支援学級を選んでしまったり、『障害児は普通学級にいない!!本人も周りも苦労するっ!』なんて、ガンガン攻められて、ますます絶望感と悲しみに襲われたりするんですよね

だから、yoさんのように長ーーい間、障害児を見て付き合っている人の『大丈夫だよ。仲間はいっぱいいるよ。子どもの気持ちに無条件で寄り添って。』のメッセージが必要です。

今現在の子どもの思いを大切に過ごすことが後悔のない、充実した未来につながっていくんだな~~~と感じる日々です。

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