8才の子ども 50年後 (Z・1)
「トラウマ」を、なかったことには、できない。
「障害」を、なかったことには、できない。
「分けられた8才の一日」を、なかったことには、できない。
私が考えてきたのはこの三つのことだったらしい。
◇
「自分に何が起きたのかを納得しながら生きることができるようになる」ため。
8才の自分に説明できるようになるために、生きてきた。
自分のこの身体と心で生きて行くために、何が大切か。
それを探してきたのだ。
「8才の子ども」に、それを、ちゃんと教えてあげられる「大人」になりたかった。
「人生に積極的に関わっているという感覚」を取り戻すために。
「自分で自分の人生に積極的に関わっていい」、という感覚を、取り戻すために生きてきた。
あきらめる必要などなかった。
あきらめなければいけないような「悪い子」ではなかった。
学校では大悪人のように怒られ、廊下に立たされ、分けられた。
でも、ほんとうは、ただの、ふつうの「わがまま」な「わるい子」だっただけ。
両親が田んぼに行っている間、妹の子守りをしなければいけなくて、私は妹をおんぶして、近所の友だちとビー玉やめんこをしていた。
その姿を見た周りの大人から、「いまどき、めずらしいね」と感心されて、気恥ずかしかったのを覚えている。
妹が二人いて、下の妹は7つ違いだから、私が妹をおんぶして遊んでいたのは7歳か8歳のころのこと。
◇
《子どもの屈辱をわかってやる感覚》を知るために。生きてきた。
《子どもを尊重しその傷ついた心を知る》ために。生きてきた。
それを証明するために、生きてきた。のだと、分かる。
そうして、自分自身の運命に対する共感を手に入れるまでに、50年かかった。
◇
・・・あとひと月ほどで58歳になる。
しばらく、分かりにくい文章が続くかもしれない。
(これまでも、そうだったけど…、今まで以上に。)
自分でたどりついたことを、自分に教えてあげたいので。
しばらく、自分のためだけに書くことになりそうだ(・_・)
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