ワニなつノート

自信の根拠(2)



『統合失調症になり、苦しんできた人たちが、
べてるの仲間のなかで自信を取り戻す…。』

取り戻す?!
『取り戻す』ということは、どこかで失ったということです。

いつ?
失ったのは、病気になってからのことだとすぐにわかります。

病気に対応できない家族、医者、周囲の人たちとの関係の中で、
自信を失ったのです。

中でも、一番対応できなかったのは「本人」でしょう。
「自分」と「病気の自分」との関係がうまくいかなくなって、
そこでも自信を失うのです。

では、その人が持っていた「自信」は、
いったいどこで手にいれたのでしょう。

それは普通の生活を通してです。
「人とありのままでつながっている実感」と、
「自分が自分を助ける主人公になること」、
その二重の手ごたえは、
子どもが普通の生活のなかで身につけていくものです。

ふだんは意識していませんが、ふつうに社会生活を過ごしている私たちは、
その「自信の根拠」を持っているのでしょう。

私たちが、ふつうに小学校で、中学校で、高校で生活してくるなかで
手に入れてきたのは、学力や様々な技能・知識だけでなく、
人のなかで普通に生活するための「自信の根拠」なのです。

地域のなかで、ふつうの子どもとして暮らすことは、
子どものころから今に至るまで、
私たちが「人とありのままでつながっている実感」の
基礎になっています。

私たちは、小学校で6年という時間をかけて
「人とありのままでつながっている実感」を手に入れているのです。
中学校で3年間という時間をかけて
「人とありのままでつながっている実感」を手に入れているのです。

私が学生の頃、祖父に子どものころの話を聞いたことがあります。
その時、「同級生も3人になってしまった…」とつぶやいた言葉が、
二十歳の私にとっては新鮮でした。

「こんなに年をとっても同級生は同級生なんだ」と
不思議な感じがしたのを覚えています。

自分が6年かけた時間は、
仲間が6年かけた時間と同じだけの時間であり、
その同じ学校、同じ教室で過ごした者同士への帰属感を
手に入れているのです。

それを「同級生」と呼んでいるのです。
だから、80歳になっても、90歳になっても、100歳になっても、
「同級生」は同級生のまま、呼び名も関係も変わらないのでしょう。

そして、それはかなり大切な宝物なのだと思います。

それは、統合失調症で苦しんでいる人たちが、
ありのままの自分、病気や障害のある自分を肯定するために必要な
「自信の根拠」として、取り戻さなければいけないくらい
大切なものなのですから。

(つづく)
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