ワニなつノート

自信の根拠(1)



向谷地さんの本に、次のような文があります。

【彼は幻聴の勢いに翻弄されて、生活がままならなくなり、
結果的にいつもの唯一の頼りである病院にかけこみ、何とかしのいできた。
しかし、べてるの仲間たちから「症状自己対処」の方法を学んだりして…、
幻聴さんのパワーを上回る力を身につけた。
最近は、暮らしにも余裕をもてるようになってきた。

彼に、その自信の根拠を聞き、
≪人とありのままでつながっている実感≫と、
≪自分が自分を助ける主人公になること≫、
その二重の手ごたえを実感することによって、
裏づけられたものだとわかった。 】


統合失調症にかかり、医者も含め誰も話を聞いてくれず、孤立し、
この社会で最も苦しい思いをしている人たちが、
仲間のなかで「自信」を取り戻していく…。

その「自信の根拠」は、「人とありのままでつながっている実感」と、
「自分が自分を助ける主人公になること」、
その二重の手ごたえを実感することだといいます。

普通学級で学ぶということは、
その≪二重の手ごたえを実感するため≫にこそ、
最も重要なことだと私は思います。

べてるの本を読むとき、いつも感じるのは、
出会ってきた子どもたちの泣き顔と笑顔です。
べてるの人たちが、その病気の苦しみ以上に、孤立に苦しんできたこと。

それは、障害の苦労以上に、
孤立させられることに苦しんできたことと同じです。
そして、仲間のなかで取り戻す笑顔もまた、子どもたちと同じです。

同じ地域で生まれ育った子どもとして、
子ども集団のなかで学校生活を送ること。
それは、「障害」のあるふつうの子どもとして、
ありのままでつながっている実感を手にいれるために
どうしても必要なものなのです。

そのなかで、
「自分の障害の苦労は自分で引き受けなければいけない場面があること」、
それは「自分が自分を助ける主人公であること」を実感するために
必要なことでした。

特別支援学校では、「人とありのままでつながっている実感」を
手に入れることはもっとも難しいことの一つです。
先生は、「障害児教育の専門家」であって、友達や仲間ではありません。
子どもの数は少なく、先生の数だけは多い。
何より、特別支援学校という存在そのものが、
地域の子どもたちと「ありのままでつながって」はいません。

そして、「自分で自分を助けることができない子ども」と
見なされえているからこそ、特別支援教育の「目的」は、
障害の克服や自立、社会適応が最優先されているのです。

「自分で自分を助ける」ということと、
社会から要求される形で「障害を克服」することは、まったく違うことです。
(つづく)



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