ワニなつノート

Halの冒険 (番外編2)



子どもの不安とまっすぐに向き合うために(2)

1・
ところで、あのコメントをわざわざ朝の出勤途中に、
しかも携帯から入れるということは、
「不登校の話題」が何か落ち着かない気持ちにさせたからですよね。

ISIZAKIさんの落ち着かなさの原因が何かは分かりません。
ただ、それが≪一番苦しい思いをしているはずの子ども≫を
通り過ぎてしまっているようにみえることが、私にはひっかかります。

あのコメントでは、「友だちにも、親にも、先生にも、
イヤと言えずに苦しんでいる子ども」をスルーして、
「先輩」と「自分」の不安を語っているように受けとれるのです。


2・
ISIZAKIさんは、「仕事をやめる覚悟がいるのか?」と、
仕事をやめなければいけない不安で文を終わらせています。

でも、最初の「不安」の正体は、本当にそのことでしょうか?

誰でも「仕事をやめる」ことを考えれば、
当然、不安な気持ちになるでしょう。
でも、それは「不安」のすり替えになっているのではないでしょうか。

その前に、「子どもが仲間はずれになること」「いじめられること」
「学校に行きたくないと言い出すこと」「不登校になること」
「子どもが学校に行かないまま、大人になっていくこと」

そうした「不安」との向き合い方に、ほとんどの人は慣れていません。
それは、不安のなり方がわからない、というか、
心配の仕方も分からない、ということです。

だから、その不安定な苦しい立場で悩むことにこらえきれず、
自分が「理解しやすい不安」の問題に置き換えてしまいがちです。

その一つが、「仕事をやめなければいけない」という不安です。

3・
理屈っぽくなりました。
でも、どうしても、ここのところは丁寧にわかってほしいのです。

それは、親が「理解しやすい自分の不安」と向き合っている間は、
子どもの不安が後回しにされるからです。

もちろん、コメントの情報はとても少ないものです。
どういう経過を過ごしてきた上での言葉かも分かりません。
それでも、こうして書いているのは、

「働いていたら、学校に連れていくしかないでしょ」という言葉は、
「子どもがどれくらい苦しい」かを「誰かが聞いてあげる」ことを
遠ざけてしまう言葉だと感じるからです。

「働いていたら、学校に連れていくしかない」

では、働いていなかったら、
「行かなくてもいいよ。ゆっくり休んでいいよ」
と言えるということでしょうか。

はじめて出会う「不登校の子ども」が、自分の子どもであるとき、
そんなふうに言える親はほとんどいないでしょう。

「学校に行かない? 
みんな行っているのに。
高校に行かないことだって考えられないのに、
小学校もいかなくて、この子の将来はどうなるのか?」

そうした不安や自分の分からなさと向き合うことは、確かに面倒なことです。
身体の病気などと違い、どこをどう悩んでいいのかも分かりません。
誰に、どう相談していいかも分かりません。
へたに相談して、「休ませてあげて」と言われても困ります。
考えようのないことや、考えてもしかたないことは遠ざけたくなります。

そうして、「子どもは学校に行くものだから」、
「甘やかしては子どものためにならない」、
「学校くらい誰でも行けるもの」、
「たくましく育つためには学校に行くしかない」、
「だいたい、こんなことで仕事を辞めるわけにはいかない」。

そうした「常識」で話を進めていけば、
「働いていたら、学校に連れていくしかない」
と言って、自分にも子どもにも思い込ませるしかなくなります。

そのとき、子どもの声は誰が聞いてあげるのでしょうか。

誰も聞いてくれない気持ちを、子どもは言葉にすることもできません。
言葉にすることもできず、誰も聞こうともしない感情は、
なかったことにするしかありません。
感じ続けることは苦しいし、言葉にもできない。
聞いてくれる人もいない。
そうなれば、やはり「なかったこと」にして、
がんばってみるしかありません。

そうして、がんばってごまかしている間に、状況が変ったり、
何かのきっかけで乗り切ってしまう子どももたくさんいるでしょう。

親以外の誰かに出会うことで救われる子どももいます。
どこかで、自分の声を聞いてくれる人に出会う可能性もあります。
でも、いじめや不登校で、命を落とす子どももまた、毎年いるのです。
(つづく)

コメント一覧

やすハハ
「やっちゃんのせいで、うちの子が学校に行きたがらなくて、不登校になったら困りますもんね~」と私はクラスの保護者から言われました。
その言葉を聞いた時、その子が学校に行きたがらないのは、(そんな親だからか~、うちの子のせいだけじゃないわ~)と確信しました。
やすの妹も何か学校であると、休みたがりました。担任ともずいぶん、話しました。仕事のある時は、「保健室でいいから」とかお願いしたり、留守番をお願いしたりしました。一応、急に言われると困ることをやんわり、わかってほしい気もあったので。結局、席替えをしたりして、落ち着いたようですが。
職場の人の娘さん(中二の女の子)も学校に行ってなくて学校から電話があったりすると親は狼狽しています。他の親は(私が思っている以上に)子供が学校に行かなくなることをとても心配するようです。
私は、自分が子どもの時、親から教えられていた価値観(学校に行かなくてはいけないこと)を疑いもなく、子供に教え込む気になれません。だって、障害のある子、人へのことは我が家では、また地域、学校でもないものとされてきましたし。子供の時から、学校に行かないことや、人とは違うマイナスなことをしてしまい叱られるのは、結局、「親が恥ずかしいからでしょ」と感じて、うさんくさく思っていました。自分の子供時代、「子供の声をもっときいてほしい」なんていえなかったな。だから、「学校休みたい」といえることは、ある意味、うらやましいか、もしくはその子にとって、とても深刻な事だと思うのに。親自身も相談する相手も難しいしね。
せっかくの子供の声を、私も親の立場になると、(いいかげん、勘弁してくれよ~)とも思いますが。
ヤスが「学校行きたくない」と言ったらちょっと深刻?それとも「順調に成長してるんね~」どっちの心持ちでいられるかしら。
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