ワニなつノート

『逝かない身体』より

『逝かない身体』より


【宝くじより希少】

ASLの恐怖は、だんだん身体各部が動かせなくなることと、
呼吸が苦しくなること。

…そのときが来たらしばらく入院して呼吸器を取り付け、
身体、特に肺との協調性を高めていくことになる。
…多くの者は、当面は不安で眠れない夜を過ごすことになる。

…深夜のナースコールの頻度は増し、
夜勤の看護師は幾度となく母のいる病室に足を運ぶことになった。

…「大丈夫ね」とだけ言い残して
行き過ぎてしまう看護師も少なくなかった。

…それでますます不安が掻き立てられ、
ナースコールが作動していることをただ確かめるためだけに、
再びコールを押してみるというようなことを繰り返してしまう。

そこで看護師は、どうしたらこのASL患者が
心穏やかに眠れるかを工夫することになる。


ある晩、ひとりの若い看護師が病室にやってきて母に諭した。

「不自由さは想像できます。
島田さんをまねても1分も私には我慢できません。
でも、大変だろうけれど慣れていかないと
自宅に戻ったらご家族が大変ですよ。
ここにいるあいだに訓練しておかないと
家族がバテてしまいます。
がんばってください」

これもよくある話で、
看護師は患者に共感を示すつもりが、だんだん教育的になっていく。

むろん彼女の言ってることは正論である。

ASL患者たちはナースコールを押し鳴らしつづけるので、
はなから不安定で、未熟で、訓練不足の、
我慢できない性質と見なされてしまうことがある。

しかし患者は文字盤をかざしてもらえない限り、
憤慨したくても文句もいえない。

たとえ寝たまま器械につながれていようとも、
その心と中身は以前のままだ。
こんな屈辱的な思いをするくらいなら
もう消えてなくなってしまいたいと絶望するが、
命が大切だからこそ死ねなかったのである。

どんなに重症の患者でも、自分は人として
最期まで対等に遇されるべきだという意識で満たされている。

健康で四肢麻痺のない人たち、
すなわち病の他者にしてみれば、
自力で動けない重症者の怒りは
ただのわがままや甘えにしか見えないし、
おとなしい患者は慈悲の対象でしかない。

無抵抗で意志表出さえ満足にできない者は、
廃人、末期の者……。

     ◆

特に直接的なサービスの現場では、
患者への嫌悪は「親身な助言」というオブラートに包まれて表れる。

つまり「こんな身体で生きていても無意味でし?」
とは言わないとしても、どんなに療養上の苦労が多いか、
お金がかかるか、毎日が無意味に過ぎていくかなど、
強い恐怖感を引き起こすようなメッセージを伝えて、
生死の判断を当事者に委ねるのである。

するとたいていのASLの人と家族は恐れおののき、
呼吸器をつけてまで生存することを諦めてしまう。


それでも諦めない人に対して、
医療関係者や役場の職員が
不思議に思うことも少なくないようである。

…患者にしてみれば意志が伝えられない不自由さに加えて、
二度と取り戻せない人生のプランを諦めるつらさは、
同病者にしかわからないと思っている。

…自分から出向いて必死で探さなければ
ASLをよく知る人に出会うことさえ難しいのだ。



この悲しいばかりの希少さ。



自分だけが広大な宇宙にただ独り、
ぽっかりと浮かんでいるような孤独こそが、
運動神経系の麻痺以上に切なくてたまらない。

10万人にたった3、4人という希少な運命が、
もっとも融通のきかない「障害」なのだ。


    □    □    □ 



今日は、一日、
「この悲しいばかりの希少さ」という言葉が、
頭を離れませんでした。

『0点でも高校へ』
それもまた、10万人にたった3,4人……
よりも希少なのかもしれないと思います。

コメント一覧

なっちママ
これは佐藤さんのブログ
本来のいつもの佐藤さんが思いのまま話を
素のまま表現していい場所ですよね
これは不味いかな?とかオブラートに包んだ言葉を
待ってる訳ではない
たとえ失敗と感じることがあるにしても
考えたりまためたした記事じゃなくてブログを見ている多くの人は佐藤さんの感じるままを知りたくて受け止めたくて見ているのだとおもいます
佐藤さんらしく!それがこのブログのイイ所なんですから★
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