今朝の新聞の「折々のことば」。
「障害をもつきょうだいがいる人は、自身の就職や結婚に際しても自分の思いより…。過去を回想し、親の没後を思って、感謝と不安の間で揺れる」という言葉とともに、《何よりも大事なのは、何を選択したかではなくて、「『自分でいい選択ができた』と思えるかどうか」》とある。
□
その言葉にうなずく。
「幸福の感覚とは身体に自己調整能力があること」だと思うし、その「自分の声」を見つけるためには、「自分の身体の中にいる」必要がある。そう思う。
□
ただ、自分の声をみつけることを妨げていたのは、優性思想肯定の社会であって、「しょうがいのあるきょうだい」の存在が一番の理由ではないのだけれど、とも思う。
それは、「しょうがいのあるなしに関わらず、きょうだいなんだから同じ地域の学校に通う」ことで、分離教育や優性思想に染まらず、「自分の声」を手放さず、大人になっていく子どもたちから教えてもらったこと。