あるブログで、芹沢俊介さんの講演記録を読みました。
今まで読んだ本にはない話があったので、私流に要約してみます。
「問い」はこうです。
《子どもには、その大人の本質である人間性を感じとる力は備わっているか?》
答えは、もちろん備わっている、です。
《子どもには、大人の人間性に対するアンテナが育ち働いている。
そのアンテナは、おとなの発する言葉、示す行為等の根本にある、
その大人の「倫理観のようなもの」への感受性として感知される。
子どもは、その大人の本性を見抜く力を備えている。
子どもは自身のアンテナを繊細に駆使して、
大人の行為の根本にあるものを見ようとしている。》
ああ、やっぱり、そうだよね、と思いました。
自分が幼いころに、大人をどう見ていたか…。
そして、今まで出会った無数の子どもたちの顔がいっぺんに押し寄せる感じがしました。
私自身が、子どもと出会ったそれぞれの場所で、「見られていた」まなざし。
そのまなざしが、わたしの「どこ」を、「なに」を見ていたのか。
子どもとの関係が、うまくつながる、ときと、途切れてしまう、ときと、
私は、何を、どう見られてきたのか。
幼、小、中、高校、適応教室、情緒障害児学級、定時制高校、児相の一時保護所、そしてホーム…。
様々な場所で、それぞれの子どもたちの、アンテナが、確かにあった。
場所は違っても、年齢は違っても、どこかで、同じアンテナで受信されている、
そういう共通する感じが確かにあった。
その「共通する感じ」を、芹沢さんはちゃんと言葉にしてくれている。
《大人の言葉や行為等の根本にある、
その人の「倫理観のようなもの」》
それは、「存在への敬意」だと芹沢さんは言います!!
「存在への敬意」。
それは、障害をもつ子どもたちへの扱いやまなざしに、一番足りない、と感じ続けてきたものでした。
障害の理解、とか、指導方法とか、そういう話ではなく、そこに「存在への敬意」があるのか。
それがいつも疑問でした。
だからこそ、私たちは、普通学級でみんな一緒がいいと言い続けてきたのでした。
普通学級で、得られるものの一つ。
大人から、そして何より同世代の仲間との間で、得られるもの。
それは、お互いの「存在への敬意」でした。
特に、保育園や幼稚園、小学校の一年生の幼い子どもたちから、強く感じてきたことでした。
◇
《大人の日々の言動の中に、どれだけ「存在への敬意」がこめられているか、
子どもの感受性は、それを的確に計量する。
そして、そのような「存在への敬意」をたくさんもっている大人を好ましいと感じ、
あまりもち合わせていない大人を遠ざけたく思う。
早ければ3歳くらいの年齢で、子どもはすでにそのような自分の感受性に自覚的になる場合がある。》
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