ワニなつノート

≪苦痛への適応≫ その1




障害をもつ子どもの中には、幼いころから、
まず自分を監視することを、
生きるスタイルとして身につけることがあります。

小さいころから、大人の一方的な療育的まなざしを浴び、
その「矯正されるべきもの」へのまなざしを、
自然に自分の内側に取り込みます。

そして、その外側からの目で、
絶えず自分を監視するのです。
子どもが、ふつうに「いい子かどうか」を気にするのとは違います。

では、自分を監視しながら、子どもは何をしているのでしょうか。

この社会に適応するために、周囲の人のまなざしや反応、
ちょっとした状況を手がかりに、
自分の「行動」を絶えず修正するために
自分をコントロールしています。

「ありのままの自分をさらしてはいけない、
ありのままの感情を表に出せば、周りの人から笑顔が消える、
期待を裏切ることになるから」

それは自分自身でも辛いことであり、
受けとめられない自分を思い知らされるよりは、
本当の自分をさらさないようにすることが自然になります。

注意深く周りを見て、自分を監視すること。
それは、自信のない自分を覆い隠すために、
自分を守る手段でもあります。

「自信がない」のは、勉強ができないとか、
うまくしゃべれないから、歩けないから、ではありません。

何か、人よりも能力が劣っているからではありません。
それ以前の、ありのまま、無力で未熟であることが当たりまえの、
「赤ちゃんの自分」さえ受けとめられる価値がないと
思い込まされた子ども時代の、
「自己受けとめの関係障害」によるものです。

だから、自分には、「できる」ことで評価される以外に、
受けとめてもらうチャンスはないと思い、
「それならば、最大限、そのことに努力して、がんばって、
この≪自分を受けとめない≫社会に、適応する以外に道はない、
と理解するのです。

それが障害児の生きる術のひとつです。
「苦痛への適応」、という生き方を選ぶことしか、学べなかったのです。
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