ワニなつノート

自分の感受性くらい自分で(其の2)

自分の感受性くらい自分で(其の2)


私は目の前にある、長女とおばあちゃんの「絵本の世界」を眺めながら、村瀬さんの本の言葉を思い出していました。


《みちこさんに何が起こったのか。僕たちが日傘を盗ったという。
失われたものは日傘ではない。では何が失われたのか。僕たちは何を彼女から奪ったのか。

彼女は自宅で生活していたが、そうはいかなくなった。通いなれた第2よりあいで急遽、暮らすこととなった。それで得たものは何だろうか。考えてみるがこれといってなかった。あえて言えば女の一人暮らしの抱えるリスクがなくなった。その程度。

では、失ったものは……。「死ぬ」と言えば飛んできてくれる友人たち。行きつけのお食事処。そこの大将夫婦との会話は彼女の日常だった。人知れず泣いた内なる世界。おしゃれして、失いかけた自己像を少しだけ取り戻すことのできる外の世界。…………≫


『見取りケアの作法」村瀬孝生 雲母書房

    ◇     ◇     ◇

認知症の老人と、10代の若者と、人が生きていくために大切なものは、そんなには違いないのだろう。



どの子にも言えることだが、「自宅で生活していたが、そうはいかなくなった」、そしてホームに来ることになった。
「それで得たものは何だろうか。考えてみるがこれといってなかった」
住む家。食事。
…それは、もともとあったもの。

この子たちが失ったもの。家族だったり、家だったり、学校だったり、地域だったり…。何より、友だちやすぐ会える知り合いや、日常と地域そのもの。
それは、私たちが彼女たちから奪ったのではない…。
でも、奪われて、ここにいる、ことは事実です。

私が8歳のときからずっとこだわって生きてきた、普通学級や、友だちや、家族や地域の普通の暮らし。
そのために、「どの子も地域の学校へ」と闘い続けてきました。
特学や養護学校から普通学級へ転校するときでも、失くしたものを取り戻すことは、そう簡単なことではありません。

それなのに、私はただ、ここにくる子どもたちの、「ここから先」ばかりを見ていたのかもしれません。

ホームという場所では、当たり前にあったはずの大切なものを失くした時点から始まらざるを得ないのであり、その始まるまでの「生活」につきあう覚悟が、足りなかったような気がします。

「そもそもがひよわな志」

「ここにくる」ため「には、「ここに来る前に失ったもの」を、時間をかけて少しづつ取り戻して、どこかの時点で、ようやく「ここに来る」日が訪れるのでしょう。

十数年生きてきた人生のなかの、「自分の関係」を取り戻すこと。
自分の居場所を取り戻すこと。
それには、どれだけの時間、どんな月日が必要なんだろう。
私(たち)は、何をすればいいのか。何をしてはいけないのか。

「ぱさぱさに乾いてゆく心を…」
「苛立つのを…」
「初心消えかかるのを…」

自分の感受性くらい、自分で守らなきゃな…。
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