4:《分けられた先にある刑務所》
【福祉の人間が出入りし、受刑者の出所後の準備をするのは今や、刑務所の日常の風景になった。刑務所と福祉。何の接点もなかった両者が結び付きを深めているのは、累犯障害者たちが長く、司法と福祉の「隙間」に置き去りにされてきたことへの反省がある。
…全国の刑務所には今、増田のような社会福祉士が配置されている。
福祉の分野にうとい刑務官に代わり、特別調整の対象者を洗い出したり、福祉・医療の手続きをするのが仕事だ。】
【刑務所への出入りを繰り返す累犯障害者たちを、塀の中で40年近く見続けてきた男がいる。
「出所日にはいつも、塀の外まで見送るんです。家族の迎えもなく、トボトボと刑務所を後にする姿を見ながら、毎回『もう戻ってくるなよ』って心の中で願ってましたねえ」
「受刑者は海千山千。福祉の手に負えるものか」
初めのうちは冷ややかに見ていた。しかし、福祉につながった元受刑者の近況を人づてに聞いたり、悪戦苦闘しながら累犯障害者と向き合っている福祉の現場を見て印象は変わった。「立派なもんだな」と。
「刑務所と福祉をつなぐ制度がもっと早く出来ていたら、救えるやつが大勢いたのに」】
(『居場所を探して 累犯障害者たち』長崎新聞社
◇
「刑務所と福祉をつなぐ制度がもっと早く出来ていたら、救えるやつが大勢いたのに」
この言葉に半分は納得しつつ、半分引っかかりました。
なぜなら、日本の福祉や特殊教育の在り方こそが、日本の累犯障害者の問題を生み出してきたという一面があるのは明らかだからです。
一番の問題は、「隔離」です。
犯罪以前に、障害があることだけで隔離してきた歴史があります。
子どもが小学校にあがるときに、障害で振り分ける制度を就学時健康診断といいます。
それより以前に、家族とさえ分けられ、寄宿舎に入れられる子どももいます。
障害児だけが分けられ、取り出され、抜き出され、隔離されることで、子どもたちのほとんどはその存在さえ知らないまま大人になります。
同じ町に「いる」ことさえ知らない人たちのことを気にかけることはできません。
さらに、途中で普通学級からいなくなる子どもたちのことも、「あの子は、私たちとは違うから、別の場所に行ったのだ」と理解するような仕組みができあがっています。
1961年、文部省発行の「わが国の特殊教育」には、次のように書かれています。
【 第1章 特殊教育の使命】
「・・・この、五十人の普通の学級の中に、強度の弱視や難聴や、さらに精神薄弱や肢体不自由の児童・生徒が交わり合って編入されているとしたら、はたして一人の教師によるじゅうぶんな指導が行われ得るものでしょうか。
特殊な児童・生徒に対してはもちろん、学級内で大多数を占める心身に異常のない児童・生徒の教育そのものが、大きな障害を受けずにはいられません。
五十人の普通学級の学級運営を、できるだけ完全に行うためにもその中から、例外的な心身の故障者は除いて、これらとは別に、それぞれの故障に応じた適切な教育を行う場所を用意する必要があるのです。】
ここに書かれている、「特殊教育」の使命とは、障害児にじゃまされずに普通学級の運営を行うことです。
この特殊教育の先にある「福祉」の使命が、障害者が社会の迷惑にならないように「隔離」することや「管理」することが中心であったとしても不思議はありません。
こうして子どもの時から分けられ、隔離される社会で、一部の障害者の行きつく先に、刑務所がありました。
山本譲司さんの『累犯障害者』には、こんな言葉がたくさんあります。
「山本さん、俺たち障害者はね、生まれたときから罰を受けているようなもんなんだよ。だから罰を受ける場所は、どこだっていいんだ。
どうせ帰る場所もないし……。
また刑務所の中で過ごしたっていいや」
「俺ね、これまで生きてきたなかで、ここが一番暮らしやすかったと思っているんだよ」
「外では楽しいこと、なーんもなかった。
外には一人も知り合いがおらんけど、刑務所はいっぱい友達ができるけん嬉しか。そいから、歌手が来る慰問が面白かたい」
「刑務所は安心。外は緊張するし、家は怖かった」
『「おいお前、ちゃんとみんなの言うこときかないと、そのうち、刑務所にぶち込まれるぞ」
そう言われた障害者が、真剣な表情で答える。
「俺、刑務所なんて絶対に嫌だ。この施設に置いといてくれ」
…これは刑務所内における受刑者同士の会話である。』
◇
『居場所を探して』の中で、一番印象的だったのは、山本譲司さんが「獄窓記」や「累犯障害者」を出版したとき、福祉関係者や障害者団体から猛烈な抗議を受けたという一節でした。
「被害者になる障害者のことならいざ知らず、加害者となる障害者のことを取り上げるとは何事か」
「とにかく、その題名がけしからん」
「障害者は罪を犯しやすいと思われてしまう」
「障害者への誤解や偏見を助長しかねない人権問題であり、あなたには福祉を語る資格はない」
初めは少し驚きました。
山本さんの著書とその後の活動こそが、全国の刑務所に社会福祉士が配置されたり、地域生活支援センターができるきっかけになったのであり、多くの障害者の人権を守る力につながったことは明らかです。
でも、驚きはすぐに「そうだよな、驚くことじゃない。その感覚こそが、日本の福祉の大勢だった」という納得に変わりました。
山本さんは言います。
「…障害のある人の職場は、なかなか見つからないのが現実だ。
これは福祉にも大きな責任がある。
福祉自体が率先して隔離政策をして障害者を施設の中に囲い続けてきたのだから。」
「私も今、PFI刑務所の中で同じように訓練事業をしているが、いつもジレンマを抱えている。いくらいろいろなトレーニングや回復プログラムを実施しようと、やはり社会の中でやらないと、身につけたスキルを試すことができない点だ。
大切なのは、彼らを支援者の言うことを聞く人に変えるのではなく、彼らが生き甲斐を持って社会生活を送れるように支援していくことにある。
『KY』という言葉に象徴されるように、日本社会は今、異質と思えるような人をすぐにエクスクルージョン(排除)してしまう、そんな風潮に覆われているのではないか。
障害者の地域移行と言いながら、世の中全体の意識としては、むしろ隔離する方向に動いているのではないか。
こうした流れを非常に危惧している。
本来なら福祉は、それに真っ向から異議を唱えていくべきだ。」
(『居場所を探して 累犯障害者たち』長崎新聞社
◇
何度も繰り返すが、この国は、障害で子どもを分け続けています。
隔離という言葉を使うと、そうではないと言いますが、「子どもの教育の場、学校での子ども同士の生活の場」を「分けている」のは事実です。
しかも、それを「子どもの幸せのため」「将来のため」と言います。
分けられることで負わされる社会的苦痛や、子ども社会を体験しないというハンディについてはまったく無視されています。
そして、福祉の場にいる人は、それ以外の場にいる人よりも、その分ける教育を肯定します。特殊教育、特別支援教育を肯定します。
それ以前に、福祉や障害者の支援をしている人たちは、子どもの教育について、ほとんど興味がないようにも思えます。
最後に、山本さんが語る今後の課題…。
「障害のある受刑者に、地域生活支援センターを通じ、福祉の支援を受けてもらうには、当然のことながら本人の承諾が必要だが、多くの人がそれを断るのだ。
特に、かつて福祉の支援を受けた人ほどその傾向が強い。」
「彼らの意見を集約し、その言わんとしていることを解釈すると、それは『福祉の場には自由がない』ということになる。
『福祉施設に世話になったら無期懲役だ』
『福祉に行くと一本のレールの上に乗せられてしまう』
『すべて職員に自分のことを決められてしまい、それに従わないとかわいくない人と言われる』
『せっかく福祉から逃げ出したのに、また戻るなんて嫌だ』
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