《子どもはみんなふつうの子ども》
「いろはカルタ」ということば遊びの感覚は、
ただ「障害」を「障がい」とひらがなに書き換えることとは違います。
私は「障害」という言葉にこだわりながら、
その言葉のイメージそのものを変えたいと思うのです。
それは誰よりもまず自分自身のためです。
私自身が「障害者」という言葉の中で育ち、
差別や偏見をその言葉と一緒に身につけてきました。
私の中に染み込んでいる差別と偏見は、
「害」をひらがなにしたくらいではなくなりません。
たとえば、「障害児」と「健常児」は対比されて使われます。
「健常児も障害児も一緒に」とか。
そこでは「害」をひらがなに変えても、
「健常児も障がい児も一緒に」にしかなりません。
結局、2種類の「別々の子ども」がいるという
「偏見」は残ったままです。
それならば、私は「障害のあるふつうの子ども」
という言葉を使う方が、自分の偏見を自覚しながら、
自分の間違いを伝えることができます。
健常と障害の二種類の子どもがいるのではありません。
「子ども」であることが、そもそも同じ。
「子ども」はみんなふつうの子ども。
「ふつうの子ども」ではない者。
それは「おとな」だったり山姥や
魔法使いのおばあさんだったりするだけです。
子どもはみんなふつうの子ども。
子どもの中には、青い目の子どもも黒い目の子どもも、
茶色の目の子どももいます。
眼の色の違いだけでなく、目の見えない子どももいます。
でも、やっぱり、子どもはみんなふつうの子ども。
指のない子もいるし、足のない子どももいます。
お父さんのいない子どもも、お母さんのいない子どももいます。
それに、お兄ちゃんのいない子どもも、妹のいない子どもも、
いろんな子どもがいます。
でも、子どもはみんなふつうの子ども。
ふつうじゃない子どもなんて、どこにもいません。
だから、どんな障害があっても、子どもは子ども。
どんな病気があっても、子どもはみんなふつうの子ども。
たとえ、6歳で空に還る子も、子どもは子ども。
だから、「障害」という言葉で子どもを表現するなら、
障害があるふつうの子どもと、
障害のないふつうの子どもがいるだけ。
どちらも、子どもは子ども。
子どもはみんなふつうの子ども。
だから、子どもにどんな「障害」があっても、
「特別な教育」の枠に閉じこめられて、
「特別」な子どもにされてたまるか、と思います。
学校の先生や医者が、子どもにどういう「障害名」をつけようと、
子どもはみんなその子の苦労を背負い、
その子の生きづらさを生き、
その子の人生を豊かに生きていくのです。
そのためには、何よりふつうの子ども時代を
過ごすことが大切なのです。
「どんな子どもでも家の中では世界一の有名人なんです。
家のなかで無名な子どもなんていない。
そのかけがえのない財産を大切にすることに尽きるんじゃないかな。
それが家庭・家族のもつ最大の意味だと思うね」
鶴見俊輔さんの名言です。
この言葉を読むと、
障害のあるふつうの子が、学校一の有名人であるとき、
それがいかに幸せなこととして語られてきたかを思い出します。
それが、入学式に大暴れしたからとか、
いつも教室から抜け出して校長先生や教頭先生が
追いかけている子どもで、
親はいつも肩身の狭い思いをしていたとしても、
1年生から6年生まで知らない子どもは
誰もいないくらいの有名人であること。
それが、その子にとって、親にとって、
どれほどの財産であることか。
特別な教育の狭い枠の中で、
これが「あなたのニーズ」だと判定され、
その指示に従うだけの生き方をすることとは、
まったく別の豊かさがそこにはあります。
□ □ □
「この子に、特別に支援をしてあげる」と、支援を押し付けられて、
それと引き替えに、自分の子ども時代を手放すくらいなら、
そんな支援はいらない。
たとえば、この子の車いすが重くて、
子どもたちだけでは持ち上げられなくて、
階段の上に行く支援ができない時でも、
階段の下でみんなが降りてくるのを待ちながら、
一緒に手をつないでいてくれる友だちが一人でもいてくれたら、
この子は特別に階段をあげてもらうより、
ずっと豊かで暖かい子ども時代をもてる。
その友だちは、「特別友だち」じゃなく、
ただのふつうの友だちとして、一生この子の人生にいてくれて、
この子がひとりぼっちになったときにも、
この子の心のとなりで手をつないでいてくれるだろう。
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