ワニなつノート

私の出会ったきょうだいたち (その4)



私の出会ったきょうだいたち (その4)


《「ふつう学級を望まないきょうだい」が大人になり「きょうだい」を支援するとき、何を語るだろう。あるいは、ふつう学級に入れなかった子の、きょうだいが、幼い「きょうだい」を支援するとき、どんなことを語るだろう》


    □


(前回のつづき。)
「ぼくはイエローでホワイトでときどきブルー2」のなかで作者はこういう。

「ホームレスの人を受け入れなかった避難所は、激しく非難されることになった。そうなることを予見できなかった職員は、社会を見誤っていて、というか、見くびっていたのだ。」


でもそれは本当かな。社会を見誤っていた? そうじゃなくて、たまたまその情報がネットで拡散されたから、じゃないのかな。ほとんどの場合、そうした情報は埋もれたままなんじゃないのかな。


たとえば今の日本で、「ふつう学級」を望まないという「きょうだい」に、「社会を見誤っているよ」と言えるだろうか?

「いまはインクルーシブ教育の時代だから。合理的配慮というものがあってね。どんな障害があっても、地域の小学校のふつう学級に行くことに、何の遠慮も気兼ねもいらないんだよ」と言えるだろうか?

川崎では、ふつう学級に行きたいという6歳の子の願いを拒否した。
裁判所もそれを認めた。2年前のこと。

やまゆり園の事件のあった相模原市では、今年も地域の小学校に入れてもらえない状態が続いている。

「ふつう学級を望まないきょうだい」は、日本の社会を「見誤ってもいない」し、「見くびってもいない」ともいえる。


      □

それでも私自身は、「ふつう学級を望まないきょうだい(子ども)」に会ったことがない。

きょうだいに苦労がなかったということではない。

きょうだいの不登校の理由が、教師の嫌がらせということもあった。それでも、「学校のいう通りにした方がいい」とは言わなかった。むしろ、自分が学校に行けなくなるほど追いつめられても、親や障害のあるきょうだいの願いも、自分の願いも、同じだということを疑わなかった。そういうきょうだいにだけ、私は出会ってきた。



20年くらい前、県教委交渉の場に小3の子がいたことがある。兄姉が定員内不合格にされ、交渉が長引くことを見越して一緒に連れてこられたのだった。声がかれるほど怒鳴りまくった記憶があるくらい、荒れた交渉だった。その子が気になって、後で両親に大丈夫だったかと尋ねた。

その子は家に帰ってから、「学校の授業より面白かった。また行きたい」と話していたという。だから、私はその日に何を話したかを今も覚えている。


「定員があり余っているのになぜ不合格なのか。この子たちに学ばせない理由は何か? 障害があること、テストの点数が取れないことは初めから分かっている。見えないことや歩けないことが恥ずかしいことじゃないように、知的障害があることも恥ずかしいことじゃない、点数が取れないことは恥ずかしいことでもなんでもない。障害をもちながら、小学校と中学校でみんなと一緒に学んできた。その上で高校で学びたいという意欲と希望のある子が、どうして不合格なのか。」


県教委が何一つ答えられていないことを、その子はちゃんとみていた。県教委には伝わらなかったけれど、ああ小3のあの子にはちゃんと伝わったんだと思ったことを覚えている。


兄姉の高校生になりたいという思いと、それを叶えてあげようとする両親の姿を、すぐそばで見てきたんだから、当たり前だよなと思う。
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