私の出会ったきょうだいたち(その2)
《「きょうだい」という言葉の違和感》
私が「きょうだい」という時、「伊部さんちの子どもたち」、「溝口さんちのこどもたち」が「きょうだい」だった。その上で障害のある兄にとっての妹、妹にとっての兄、という関係の中で使う言葉だった。
でもヤングケアラーという言葉とセットで使用されることが増えてきて、「きょうだい」とは「障害がない」ことを表す言葉のように聞こえてきた。
そうすると、障害がある子は、「きょうだい」ではなくなる?
「きょうだい」とは、同じ親をもつ子のつながりを表す言葉なのに。
ケアする側と、される側に、きれいに分けられ、それ以外のつながりの話が忘れられていく…。
違和感の一つはこれかな。「きょうだい」という言葉が、「きょうだいのつながり」を分ける働きをさせることがある。
「きょうだいの会」の話を振られ、「別にそういうのはいいんだけどさ」、あるいは「は?入るわけないじゃん」と返す子たちはその気配を感じるんだろうな。
□
例えば、6年生と1年生のきょうだい。
《兄が学校に行くということ。「一年生」たちを連れて、登校するということ。一年生の弟が、道草しても、ぐずっても、座り込んで動かなくても、みんなから遅れても。見守るのが上級生。しかも兄貴なんだから。家を一歩出たら、世界で二人きりなんだから。お兄ちゃん冥利に尽きるということ。家ではケンカしても外では守るに決まってる。弟なんだから。一年生なんだから。》
そういう思いは、口にはしなくても、親には分かっていてほしいこと。
それなのに、母親から「毎朝、面倒見るのは大変じゃない? 友だちとも話せないし」と聞かれたりする。
「別に、友だちとは学校で話すし。お母さんは弟がいると大変なの?」
□
兄は知っている。弟が小学校に入るだけのことに、親がどれほど大変な思いをしてきたか。学校の先生や友だちが、障害のある子をどんなふうにみているか。この社会では、障害のある子が、地域の小学校にいることが当たり前ではないことを知っている。
その上で、なぜ親が「ふつう学級」にこだわるかを誰よりも知っている。大人の交渉に子どもの自分ができることはないけれど、弟と親の一番の味方は家族である自分、きょうだいである自分だと思っている。
《なのに「大変か」とか言ってくる。大変か? そりゃ大変なこともあるさ。でも、大変なときは、助け合うのが仲間だろ。友だちだろ。きょうだいだろ。いつもそう言ってきたのはお母さんだろ。ぼくに遠慮なんかするなよ。ぼくを、お母さんを苦しめた人たちと同じみたいに言うなよ。》
そんなきょうだいたちの声が、重なり合って聞こえる。
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