「学校」という場所では、
子どもは集団のなかの一人にすぎないという考え方が優先します。
子ども一人一人に、その子をかけがえのない大事な存在として
愛しみ育ててきた親がいるということ、
そして一人一人の子どもが個性をもった
独自の存在であると見るまなざしもまた、
忘れられている場所です。
個性とは「優れた能力」だと間違われていて、
本当の意味での「個性」というものを、認める余地がありません。
それよりも、管理を主眼とする学校中心、
教師中心のものの見方考え方が、いつも優先されます。
そうした場所では、子どもは「子どもを生きる」よりも、
「集団への適応」を強いられることになります。
子ども一人一人のかけがえのなさに対するまなざしのない場所では、
それぞれが「ありのままの自分」を出すこともなく、
差しさわりのない「関係」があふれることになります。
子ども同士の「生き生きした関係」もまた、閉ざされることになります。
学校が、子どもたちが、ありのままの自分をぶつけあい、
その中で、せめぎあい、折り合いながら、
育っていくための生活の場所になるためには、
子どもにとって安心できる、安定した場所でなければなりません。
子どもにとって、「犯罪」や「地震」だけが、
安全と安心を脅かすものではありません。
むしろ、ありふれた日常のなかでは、
そこに「いること」に、「条件」を出されることが、
子どもの安心と安定した生活を脅かすものになります。
話はやはりそこに戻ります。
子どもにとって、学校が安心と安定の場所であるためには、
まず「条件」があってはいけないのです。
条件があることは、それをクリアできる子どもにとっても、
できない子どもにとっても、
「安心と安定」を壊すという意味では同じです。
子どもがそこにいる理由は、「子ども」だから、だけなのです。
同世代の仲間とそこにいること、
それはただ同年齢の子どもであること、
それだけで十分だという前提が必要なのです。
それを、子どもに間違いなく伝えるに、教師にできること。
それは、まず子どものそばに居続けること。
子どもたちが、誰も分けられたり、切り捨てられたりしないことを、
不断に伝え続けることです。
子どもにとって、学校が確かな受けとめの場所であると感じられることは、
すべての子どもたちのために必要なことです。
すべての子どもたちが、安心して自信をもって学ぶこと、
失敗すること、夢見ること、
人間を信頼できる大人になるために必要なことなのです。
そのために、すべての子どもを包み込むこと、含み込むことを、
インクルージョンと言います。
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やすハハ
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