私が生き延びてこれたのは、たくさんの「風変わりな親たち」に出会えたからだった。
そのことも、旭川で確かめられたことの一つ。
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「風変わりな親」は、「世間の常識」がしっくりこない。障害がある子をかわいそうとみる人が多い社会で、「こんなにかわいい子はいない」と感じ、「この子に出会えたことを人生で一番の幸せ」の一つと感じている。おかげで、「悪い子や風変わりな子どもは大事にされない」という私の信念は跡形もなく消えた。
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旭川のスヌーピーと仲間たちも、「風変わりな親」や、「風変わりな先生」に出会えたおかげで、自分の風変わりに自信を持って生きてこれたと感じているんじゃないのかな。
「風変わりな子ども」とは、少数の癖の強い子のことではなく、「ただの子ども」だということを知っている子は息がしやすいだろう。
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「うちはなあとうちゃん、ゆりはああして寝とるばっかり、草や木と同じに息しとるばっかり、そげんおもう。ゆりが草木ならば、うちは草木の親じゃ。ゆりがとかげの子ならばとかげの親、鳥の子ならば鳥の親、めめずの子ならばめめずの親。…なんの親でもよかたいなあ。鳥じゃろと草じゃろと。うちはゆりの親でさえあれば、なんの親にでもなってよか。」※
※「苦海浄土」石牟礼道子