《木の声を聞くように子どもの声を聞く》
旭川でスヌーピーたちの声を聞きながら、「木の声」を思い出していた。
木も自分を守るために、「あれはなに?」と「定位反応」で考える、らしい。
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たとえばアカシアの木は、キリンに葉を食べられると、痛みを感じて、葉に毒を集める。
「痛い、何なの、どうなってんの?」とか思ってる、かな。
そして匂いを風にのせ仲間に危険を伝える。
「おーい、キリンがきたぞー」とか叫んでる、かな。
キリンが匂いの届かない風上にまわれば、地中の根を通して、電気信号でも危険を伝える。
「こっちなら、確実だ」ってね。
でも、木の電気信号は1分に1センチメートル。(遅)。
キリンはその「木の声」が届かない、離れた木に向かう。
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そう、幼稚園から中学まで、10年余りの子ども時代に、ふつう学級という森で生長する子どもたちは、人間の大人の知らない声で、たくさんのことを伝えあっている。
大人になった彼らが言葉で話すときには、「インクルーシブ」という言葉で語られるけど、それよりも私に「聞こえる」のは、エチレンの匂いや、地中の根を走る電気信号の声、のような気がしている。
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そのあたりを書きたいのだが、うまくいかない。
きっと、佳ちゃんの隣の席で、手をつないで授業を受けていた子どもたちと、木の声と、旭川の声が重なって、聞こえるんだな。
それは、どうしたら言葉になるんだろう?