《最後の景色》
子どもにとって「分けられること」は、どんな体験であるか。
体育の前に「着替えなくていい」と言われたあの日。
父ちゃんを待ちながら、校庭に走りだすクラスメイトを見送った。
分けられる前の、最後の景色。
□
一緒にいるのが当たり前だった同級生は、もういない。
その一員だった自分も、いなくなった。
苦痛の一つは、この断絶だった。
「分けられる」ことは、子どもの安全を突然、かつ強力に否定する。
本来なら、子どもを保護し世話をするべき先生によって、ある日突然「分けられる」こと。
「自分で自分を取り仕切っている」という感覚はなくなり、『社会的な期待が裏切られるという内臓体験』を繰り返し味わう。
□
8歳のあの日。
どうして「分けられた」のか。
分けられたことで、自分の身にいったい何が起きていたのか。
それを理解することが、私の「生涯を通じての挑戦」になった。