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ワニなつノート

「分けられた子ども」と百年後の世界 ⑦

《最後の景色》

子どもにとって「分けられること」は、どんな体験であるか。

体育の前に「着替えなくていい」と言われたあの日。

父ちゃんを待ちながら、校庭に走りだすクラスメイトを見送った。

分けられる前の、最後の景色。

          □

一緒にいるのが当たり前だった同級生は、もういない。

その一員だった自分も、いなくなった。

苦痛の一つは、この断絶だった。

「分けられる」ことは、子どもの安全を突然、かつ強力に否定する。

本来なら、子どもを保護し世話をするべき先生によって、ある日突然「分けられる」こと。

「自分で自分を取り仕切っている」という感覚はなくなり、『社会的な期待が裏切られるという内臓体験』を繰り返し味わう。

          □

8歳のあの日。

どうして「分けられた」のか。

分けられたことで、自分の身にいったい何が起きていたのか。

それを理解することが、私の「生涯を通じての挑戦」になった。

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