「花を奉る」を自分に読む (その1)
インクルーシブ教育とか合理的配慮とかいう言葉はできたけれども、現世の障害への偏見は止まず変わらず。
さらには特別支援だの個別指導だの、発達障害への配慮だの、新しい飾り言葉をつけては、子どもを分ける、分ける、分ける。
ミサイルのスピードを競う技術者のように、分けるスピードを上げることに熱心な人たち。
分けることに勢いづいた者たちは、言葉だけ新しい装いにして、すべての子どもに怖れを植えつけようとする。
分けられる子どもには、「みんなと一緒になると、あなたはいじめられるよ」と脅し、分ける側の子どもには、「あなたたちは障害のある子をいじめる子だから、そうならないように道徳を教科にして教えよう」と諭す。
自分たちで分けておいて、片方に「いじめられるよ」と脅し、片方に「いじめてはいけない」と諭す。
それは、子どもを怖れながら、「いじめられる子を助けよう」「いじめる子を正そう」とする大人の姿に他ならない。
そして、両方の子どもに同じことを教えたがる。
「人に迷惑をかけないように。自分のことは自分で」
その大人たちは、子どもたちを信じることができないでいる。
子どもたちを信頼することそのものを怖れている。
そうでなければ、どうしてこんなに、子どもたちをバラバラに分けまくろうとするのか。
障害のある子もない子も、親のいる子もいない子も、目の色や肌の色、髪の色の違う子も、子どもがみんな一緒に、信頼と希望でつながりながら生きる未来を、見たくないのだろうか。
私は、その未来を、子どもたちに見せてもらった。
希望は、子どもたちのつながりのなかに、始まっている。
□
歩くこと、見ること、聞くこと、話すこと、集団で行動すること、息をすること。
命をつなぐのに必要なことを苦手にする子どもがいる。
生まれくる命を助けられない時代を、人類は長く生きてきた。
子どもの命を助けることこそが親の願いだった。
そして救われた命の先には、子ども同士の出会いという希望が表れる。
いまは、息をすることさえ、助ける技術もある。
子どもたちの出会いを豊かにする技術はないか。
子どもたちが信頼し合い、手を繋ぎ共に生きる技術はないか。
いえ、その先に技術はいらない。
人類が積み重ねてきた知恵と技術の先は、ただ子どもたちの出会いがあればいい。
私が子どもたちにもらった贈り物は、「だいじょうぶ、怖れなくていいよ、ぼくたちはもう出会ったから」、という希望だった。
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