刑務所で「ここはいい所だ」という累犯障害者をわらわない。
「ちゃんとしないと刑務所に入れられるぞ」と脅され、「いやだ、ずっとここにいさせてくれ」と答える人をわらない。
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「ふつう学級を選んでも、何年か後には支援学級に来て、みんなほっとするんですよ」
その子を見守ってきた療育の先生の言葉もわらわない。
安全が何かは一人一人違う。
どちらも「障害児者にとって、娑婆は安全じゃない」という実体験に基づいている。
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だけど。
社会やふつう学級が「安全」でなかったのは、その子のせいではない。
障害のせいではない。そこにいるのが「ふさわしくない」から安全を感じられなかったのではない。
刑務所の彼には、
ほっとしたその子には、
それまで「安全を感じさせてくれる、信頼できる大人」がいなかっただけ。
だから、「ずっとここにいていいよ。ここで守ってあげる」というのは違う。
この社会のどこにいても、安全で安心できるように。
子どもたちが、地域の学校で「ここは安全でいいところだ」と言ってくれるように。
娑婆で「ここは安全でいい所だ」と言ってもらえるように。
安全を感じるために、無理してがんばったり、逃げたり、凍りついたりしなくていいように。
ただ、仲間といるだけで、安全を感じられるように。