《はじめてのおつかいと「調整のアドバンテージ」》(後編)
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「いつものおとうさんじゃない」
「いつものおとうさんじゃない」
しんじろうは2回繰り返した。
一度目は思わず口から出たことば。
二度目は自分の声を、自分の耳で聞き、確かめるため。
《いつものおとうさんじゃない!? あれ? いつものおとうさんとちがうけど、いつものおとうさんだ。いつもとちがうのは、なんだっけ? そうだ、おかあさんがいないんだ。あかちゃんがうまれたから。ぼくはお兄ちゃんになるんだ》
きっと、そんなことを考えなら、「いまこの状況」を理解しようとがんばっている。
「いつも」の「安全なつながり」を取り戻そうと調整している。
はじめてのおつかい。
はじめての《やり遂げる意思》。
それを覚悟するための時間。
大人には「見通し」と「調整のアドバンテージ」が、ある。
そして子どもにも、「見通し」と「調整」は必要だ。
だから子どもの「調整」を待ってあげる責任が、大人にはあるのだ。
大人にできることは、つながりの安全を保ちながら「待つ」こと。(はじめての保育園も。はじめての学校も同じ。子どもの「はじめて」に必要なのは、いつも待つことだ。)
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玄関で長靴をはく、しんじろう。
「泣いてでも、いかないといけない」
そう言いながら、しんじろうは扉を開ける。
外に出てもまだしゃくりあげて泣いている。
「ぼくならいける」
自分にそう言い聞かせ、歩き出す。
パン屋さんにつくころには涙もかわく。
「何か欲しいものあるの?」
「あんぱん」
「一人で雨の中きて偉いね」
「だってあかちゃんいるから。」
「あかちゃんがいるの?」
「ふたりいるから」
「二人? 双子? 赤ちゃんはいつ生まれたの?」
「きょう」(本当は昨日だけど)
店を出た直後に、しんじろうの声がきこえる。
「かってきた!」「よかった!」「かえてよかった!」
「やさしい子だった!」
《やさしい子》というのは、お母さんがいつも自分をほめてくれる声。それを、ちゃんと自分の耳に聞かせ、確かめる。
だから2件目のお店では、もう頼りなさのかけらもない。
「自分の大丈夫」を「自分で確かめる」時間がどれほど大切かが、よく見える。
そして、しんじろう帰宅。
「ただいまー。いけた!」
「どうだった?」という父の声に、しんじろうが答える。
「たのしかった!!」
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という訳で、以下の二つの法則の説明、おしまい。
《その1》子どもの「やり遂げる意思」を貯める時間+大人の「待つ」時間=「協働調整」の時間
《その2》子どもの「勇者の本能」+大人の「信頼」=自分を好きでいるための「安全なつながり」
【写真:仲村伊織】