ワニなつノート

子どもを分けてはいけない4つの理由 (5)



≪北村小夜さんの、『子どもを分けてはいけない4つの理由』≫

4・ ≪分けた側の不幸ははかり知れない。≫ 



これが一番大きいのではないでしょうか? 
障害児に出会わないで学校生活を終えた人、
親になって初めて障害児と出会ったという人もいて、
ご苦労なさった方もおありですよね。

福祉の専門学校がこの頃やたらにできましたでしょう。
他に何をしていいかわらないので、
福祉でもやるか~という感じの人が、
親にお金を払ってもらって行くような学校が沢山あるのです。

その1つで、私に福祉概論というのをやってくれないかということで、
しばらくやっていたんですけども、あまりにつまらないので、
少し前にやめました。

十数人の小さなクラスでした。
一番はじめ、私も何をやっていいかわからないし、
みんながどの程度の事を知っているかも分からない。
はじめての時、養護老人ホームに行ったんです。
帰って来て、気がついたことを書いてもらった。
ところが、「初めて老人に会って感動しました」と書いてあるんです。

老人なんて私を含めてその辺にごろごろしているわけです。
自分が関わる対象としての老人に会ったのが初めてだという
意味だと思うのですけどね。

いろんな人と一緒に生きていこうと思ったら、
駅だって図書館だってスーパーでだって、
年寄りには必ず会っているんですけどね、

それを無視してきた。
無視して生きてこれたということは、
おそらく小さい時から障害者と一緒に暮らしてないからだと思うのです。

普通の学校で、障害児がまったくいない学級で育っている子どもというのは、
本人の責任ではありませんけど、
障害を持っている人に対して
「あなたなんか、あっち行きな」という立場にいるわけですよね。

国がそうやって分けて、そのことに安住しているわけだから。
本人の責任ではないですけれどね。
それは不幸なことです。

高校卒業した段階で福祉をやろうか?と思った時に、
まったく見当がつかない。

次の週に知的障害者の作業所に行きましたが、
まったく同じ事を書いていました。

「初めて障害者に会って感動した」と。

感動するようなものではないですよね、
日々付き合っている者にしてみれば。
今、子どもを分けてしまっているのは、
そういう不幸な人たちを沢山作っていることです。

国のレベルで作っている。
これは国として損失だと思います。
一緒に暮らしていれば、わざわざ福祉と言わなくても一緒に暮らせるのに、
わざわざ福祉を養成しなければならないという大変不幸なことをしている。

私は分けた側の不幸というのは、
本人が気がついていないだけに、
ほんとにはかり知れないものだと思います。


障害のある人というのは、できないことがいろいろあります。
できないことというのは、だいたい、
やらせってもらっていないことですよね。
家庭でもそうですが、障害を持つ子どもさんは、刃物とか火とかは、
怖いからとかなり遠ざけられていると思います。
火と刃物とお金。それから、SEXに関する情報とかが与えられてない。

それは親によって制限されているわけです。
親がその子の能力を見限っている。
同様のことが養護学校や特殊学級の教育でも言えます。
これ以上はこの子に無理だと思ったことは教えない。
これ以上のことはできないだろうと思った時に、
そこに合わせてしまって、それ以上のことはしない。

普通学校がいいとは言いませんけど、当たり前なのは、
分からなくても情報は来るわけですね。
そこで聞いた情報は頭の上を通り過ぎると思うのですけれど、
そのことも大事なことです。
難しい言葉は通り過ぎてもいいけど、何処かにそれが残っていて、
だいたい経験として見当がつくみたいな。
それは必要なことだと思います。
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