ワニなつノート

「授業という生活」を暮らすということ(1)



≪ただの子ども≫


『認知症とは何か』(小澤勲)と、
『私は私になっていく』(クリスティーン・B)を何度も読み返しながら、
「分からない授業はかわいそう」について考えている。

クリスティーンさんは、
認知症が深まるに連れて、周囲の人たちの見分けがつかなくなり、
自分が誰であるのかも分からなくなって、
それでも私は私といえるだろうかと、
最初の本で書いていた。

「自分が自分でなくなる恐怖」
「取り返しがつかない」という実感と絶望感。
「さまざまなことが徐々にできなくなっていく‥」

こうした言葉を読むとき、
私はまだ体験したことがないのに、
その絶望感と怖さを、なんとなくわかるような気になる。

認知症の人たちに対し、
その「できなくなること」を取り戻させることや
できることを求めることで解決しようとすることが無理なことであり、
余計に本人を苦しめることになるということも理解できる。

でも、障害や病気ゆえに「さまざまなことができない」状態で、
学校生活を送る子どもたちの心を、
私はどれくらい想像できるだろう。

たとえば、「記憶から消えていく一人一人」が、
初めからいなかったら…と考えてみる。
それは、どんなに怖いだろう。

あと数年で50歳になる私の中に、今も、小学校の同級生がいる。
中学の同級生がいて、高校の同級生がいる。
その子ども時代の私を取り囲んでいた同級生たち、
同じ学校の仲間たちの景色と気配をすべて消してみる。
すると、わたしも消える…。

初めから「自分が自分であること」を、
自分が自分であることを形づくる出会いと成長の機会を制限され、
一方的に限界を決めつけられること。
「自分が自分である」ある前に、
「障害児」としての自分を強いられる環境。
それを「遅れを招く環境」というのだった。

すべての子どもが、自分をただの子どもとして生活できるように保障すること、
それは学校の大事な仕事のひとつだと私は思う。

同じ地域に住む同い年の仲間から分けられ、
兄妹からも分けられ、
その上で自分はみんなと同じただの子どもだと思うのは難しい。

数年前、児童相談所で会った3年生の男の子は言った。
「どうせおれはコベツだから」
「どうせ、おれ、バカだから」

その街では、「特殊学級」を「個別支援学級」と言っていた。
私はその言葉を初めて聞いたときから、胡散臭い言葉だと思っていた。
だから、その男の子の言葉を聞いたとき、
名称の変更は、ただ送り込む人間の気まずさを救うだけの
自己満足なのだということがよくわかった。

分けられた場所を何と呼ぼうと、
そこに入れられた子どもに、
「自分は取り返しのつかない」ことをしてしまったのだと感じさせ、
みんなとは違うんだということを
強烈に意識させることに何の違いもない。

小学校もみんなと一緒に行けない、
中学も行けない。高校も行けない。
それは子どもとって「取り返しのつかない絶望感を教えること」にならないか。

言葉をしゃべらなくとも、字を読まなくとも、
計算ができなかろうが、歩けなかろうが、
「ただの子ども」であることに違いはない。
どんな子どもも、「ただの子ども」なんだと、
保育士や先生が思えなくて誰がそれを子どもに伝えるのか。
そしてまた障害をもつ子どもが「ただの子ども」なのだと、
保育園や学校で伝えなくて、
どこで子どもたちに教えることができるというのか。

障害をもつ子どもにとって、
現実には周りの援助や大人の助けが必要な場面もある。
そのときにこそ、その時々の出会いの中に、
ぶつかりあいの中にこそ、希望が見えるはずだと知っていてほしい。
それがなければ生きていることさえおぼつかない子どももいる。
だからこそ、障害が深いほど、その子どもの希望とは、
人と人との関係の間にこそ求められ、
生まれてくるに違いないのだから。

子どもと出会うことを仕事に選んだのだから、
すべての子どもはただの子どもだと、
いっしょに過ごすなかで理解できない子どもなどいないと思ってほしい。
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