キンモクセイの香りが教室の窓から流れ込んできた日、
Kのお母さんから手紙が届いた。
八木先生。ごぶさたしています。
転校の際は本当にお世話になりありがとうございました。
Kは先生が下さった色紙をベッドの横に貼って、毎晩、寝る前にながめています。
先生のご指導のおかげで書けるようになった日記も、
Kの机の中に大事にしまってあります。
ただ、こちらの学校に転校してからは、Kは日記を書かなくなりました。
一学期はとうとう、学校でも家でも、えんぴつを持とうとしませんでした。
ところが、夏休みに入ってしばらくして、
5年生のときの日記を自分で出してきました。
何日かは、ただその日記と、アルバムを見ながら過ごしていました。
それから、新しいノートの表紙に
≪5ねん3くみにえ≫と書いて、
また日記を書き始めました。
何を書いているのか、私には見せてくれません。
Kはもう5年3組じゃなくて、6年1組だよと言うのですが、
本人はこれでいいと言います。
「日記」は5年3組でしか書いたことがないので、
こだわっているのでしょうか。
相変わらず、この子が何を考えているのか、
何をしたいのか、うまく分かってあげることができないでいます。
でも、2学期、学校が始まってから、
またえんぴつを持つようになりました。
先生がよく言ってくださったように、
この子を信じて、気長に待つしかないですね。‥‥‥
◇
A4サイズの封筒には、Kの日記が同封されていた。
大学ノートの表紙に「5ねん3くみにえ」と、
見慣れたKの文字で書いてある。
翌日の朝の会で、八木先生はその「日記」を開いた。
≪4月5日(水)≫
えりかちゃんににゅうがくしきに手につないでくれました。
うれしかったです。
「えりかちゃん、覚えてる?」
隣の席の裕美がきく。
「入学式‥‥? わかんない。誰と手をつないだのかなんて覚えてないもん」
急に、入学式と言われて、えりかはとまどった。
帰ったら、アルバムを見てみよう。
お父さんが撮った写真がいっぱい貼ってある。
あれを見れば、入場のときの写真もあるはずだから。
そう思いながら、タンスの上のアルバムの背表紙を思い出しているうちに、
その中に貼ってある写真が何枚か浮かんできた。
はっきりとは思い出せないが、
きっと、私の隣に、Kちゃんが写っているんだろうな。
えりかはそう思った。
≪9月13日≫
ともみちゃんとかえでちゃんにポケモンおんどにおしえてくれました。
うれしかったです〕
「ポケモンって何年生だっけ?」
たくが後ろを振り向く。
「さぁー?」
ともみもすぐには思い出せない。
「1年生のときだよ」
かえではよく覚えていた。
「ユリ先生がいつもピカチュウのお面をかぶってたから」
かえではユリ先生が大好きだったから、
ユリ先生に「Kちゃんに教えてあげてね」って
頼まれたのがうれしかったのをよく覚えている。
「放課後、教室で音楽をかけて、何度か練習したよ。
でも、Kちゃんは、教室の端で見てるだけで、
たしか一度も踊らなかったと思うよ」
≪6月23日≫
学校に帰りました。
たつやくんに助けてくれました。
うれしかったです。〕
「え~~~」
クラスのみんなが驚いた。
「先生、ほんとにタツヤってかいてあるの? 人違いなんじゃない?」
「そうだよ。Kちゃんのこと、いじめてばっかりいたじゃん」
「でも、ちゃんと、たつやくん、って書いてあるわ。
どうなの、たつやくん」
八木先生がタツヤをみる。
「うーーーん」
腕組みをしながら、タツヤも考え込んでいる。
いじめた場面なら、いくらでも思い出せる。
幼稚園から5年生まで、ずっと一緒のクラスだった。
プールに突き落として泣かしたこともある。
ドッジボールのときにも、顔面にぶつけて泣かした。
掃除の時間には、
ほうきを持っておいかけまわしたこともある。
Kは何故かほうきを恐がっていて、必死で逃げていた。
タツヤがKを追いかけている光景を、
みんなもしっかり思い出していた。
「やっぱり、たつやなわけないよ」
コータがつぶやく。
みんなもうなずく。
タツヤもうなずいている。
タツヤが何度もうなずいていたのは、
ほうきの件を思い出したからだった。
タツヤは、ほうきが恐いというのが、
どうしても理解できなかった。
オバケが恐いとか、高い所が恐いなら分かる。
だけど、何でほうきが恐いのか。
ほうきなんか恐いもんか。
そんなもん恐がってたら、ちゃんとした大人になれないじゃないか。
タツヤは、なんとかそのことをKに教えてやろうと思っていた。
自分が、そんなことを考えていたのを思い出した
でも、誰もタツヤに聞かなかった。
どうして、ほうきを持って、Kを追いかけたのか。
だから、タツヤも言わなかった。
そのうち、Kはほうきより、
タツヤの方がずっと苦手になった。
そのおかげで、5年生のときには、
掃除当番のときには、ほうきを使えるようになっていた。
Kがほうきを恐がった理由を誰も知らない。
そして、Kがほうきを恐がらなくなったのが、
タツヤのおかだということも、誰も知らない。
◇
≪11月2日≫
ゆきこちゃんにうさぎごやにそうじにしました。
うさぎにあかちゃんにさわらせてくれました。
こわかったです。うれしかったです。
≪7月5日≫
さとるくんにかんじてすとに
はなまるにかいてくれました。
うれしかったです。
≪4月5日≫
ゆうじくんに5ねんせいにきょうしつにおしえてくれました。
またいしょだなといいました。
うれしかったです。
≪10月25日≫
まきちゃんにえんそくにバスにとなりにすわりました。
もりのくまさんにうたいました。
うれしかったです。
≪6月23日≫
しばたくんにピアノにじょうずです。
おんがくしつにぴあのにらぴゅたにおしえてくれました。
うれしかったです。
≪9月19日≫
なほちゃんにいつもリレーのせんしゅになりました。
うんどうかいにおうえんしました。
うれしかったです。
Kの日記を一枚一枚めくり、声に出して読みながら、
八木先生は、一人ひとりの子どもたちの顔を、
あらためて見つめる。
Kのお母さんから届いた手紙のことを話したときは、
みんなあまり興味のない顔だった。
何か覚えてることはないって聞いても、
「べつに‥」という。
Kちゃんが転校してまだ半年もたたないのに、
ちょっと冷たいと思った。
Kちゃんは変った子だったから、
友だちと呼べる子もいなかったし‥と、
心のどこかで思った。
でも、冷たかったのは子どもたちではなく
私だったのかもしれない。
≪4月21日≫
ちゅうしゃにしました。
なみだにこぼれました。
かずくんにてにつないでくれました。
うれしかったです。
≪5月18日≫
わいんこうじょうに
あきらくんといっしょにじゅうすにのみました。
うれしかったです。
≪4がつ26にち≫
3ねん1くみ17ばんにくつにないです。
おうちにかえりません。
かずきくんにみつけました。
うれしかったです。
≪10月30日≫
おおひらやまにあるきました。
やまにしょうがっこうにみえました。
ゆきちゃんにおしえてくれました。
てにふりました。
うれしかったです。
≪10月22日≫
ばすえんそくにおやつにかいました。
ちょこくっきらむねがむにかいました。
じゅんぺいくんにかいました。
うれしかったです。
≪2月5日≫
きゅうしょくとうばんにぎゅうにゅうにおとしました。
みさきちゃんまりこちゃんりえちゃんに
だいじょうぶにいいました。
うれしかったです。
≪6月10日≫
りんかんにいく5はんになりました。
たつやくんにりょうくんにはるみくんに
ゆうたくんにまさやくんにかずきくんに
つばさくんにいっしょにふとんにしいて
おふろにはいてごはんにたべてねました。
たのしかったです。
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