《まゆーきの能力》(Bメモ)
まゆちゃんにとって、ゆうきくんの理解とは―――
6歳のときは6年分の「いることの能力」の対の理解。
12歳なら12年分のゆうきくんのやさしさと「いることの能力」を理解しているということだった。
それは、「ダウン症」という言葉が、「社会の無理解」を表す意味しか持たないことを、理解する年月と同じ長さでもある。
それを人生の「体験的理解」として持つということ。
そこでは、「王様は裸だ」と叫ぶことのできる子どものように、「ダウン症」という言葉を枕詞に使う大人の怖れと情けなさが、はっきりと見えるのだと思う。
大人たちは、一人ひとりの名前を持ち、愛されて育ちゆく一人の子どもに、「見えない衣装=ダウン症」というラベルを見て、その子が見える気になっているのです。
それがいかにバカげたことか。いかに意味のないことか。
「いることの能力」を共に育て合った子どもたちには分かるのでしょう。
◇
私が、昔から感じてきた「きょうだい」の気配は、「いることの能力」の理解のことだったようです。
私が、「かなわない」と感じてきた気配は、そういうことらしい。
親でさえ、その子に出会う前に、その子の「いない」時を生きてきたのだから。
「生まれた時から、お互いにいることが当たり前の、いることの能力」の理解は、大人には計り知れないものがある。
もちろん、障害や病気のきょうだいがいることで、親との時間や生活が制限されることもあるし、パニックや八つ当たりされるきょうだいの苦労や痛みがあることは知っている。
それでも。きょうだいを分けないで育てることで、生まれる理解があること。
学校が分けられたとしても、共に暮らす家の中で生まれる理解があること。
その「いることの能力」の理解を、私たちの社会の多くの人は、理解していない、ことだけは確かなことだ。
まゆちゃんとゆうきくんの二人の姿を見るたびに、こうして、教えられるイメージがある。
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