ワニなつノート

身体に閉じ込められる「分けられる」記憶


身体に閉じ込められる「分けられる」記憶


 《8才の子ども》



「障害」と「分けられる体験」は別のものだ。
「障害」と「分けられる怖れ」は別のものだ。


障害のために文字が読めないこと、話すのが苦手なこと、勉強ができないことと、
「分けられる恐怖」による、不安、怖れ、震え、おびえ、パニック、恥の感覚は、別のものだ。


「知的障害」の「特徴」とみなされている行動や状態、(自信のなさ、不安、怯え、逃走、凍りつくこと、動けないこと等)は、障害の影響であるよりは、障害児として分けられた「傷害」によるものではなかったか。


それは「障害」のせいではなく、分けられた「傷害」によるものではなかったか。

分けられるという「傷害」によって、傷ついた「感情の傷であり、癒しによる手当と変容できる余地のあるもの」ではなかったか。


        ◇



《身体に閉じ込められる「分けられる」記憶》


それにもかわらず、医学モデルは存続している。

障害児に対して、専門家がすべての知識を握り、必要な訓練を指導する。
自らを「健常者」「優越者」として、守られた役割を保持し続ける。

専門家は、「障害」による無力感に対して、自らを切り離したまま防衛しているのである。


分けられた場で、疑問を持たない多くの教師は、分けられた子どもの「苦悩」と心を通わすことはできないだろう。

それは、子どもが持つ、分けられた痛みを受け止め、統合していくうえで、極めて重要な共同作業が欠けているからである。

そしてまた、どの子にも「自己調整(self-regulation)」する能力があることを信じていないからでもある。

「障害児」が「障害」のために制限されている「能力」と、その子の「自己調整の能力」とは別物だという認識が欠けているのだ。

障害があることで、その子の全ての能力が欠けているかのように勘違いしているのだ。


       ◇



《50年忘れない怖れ》


私はこれを自分の体験から書いている。
調査や研究をした訳ではない。
自分の“カン”でしゃべっていると言ってもいい。

ただ、出会ってきた子どもたちとの就学前から30才を過ぎるまでの長いスパンのつきあいの中で、この説明がもっとも自分を了解させるものだ。


なにより、私自身の“8才の子ども”が、今日まで、この場所で、この問題にこだわらせつづけた動機は、自分の中の「50年続く怖れ・恐怖」の理由を知りたかったからだと分かる。


              ◇



《一番いい場所》


いじめられたり、バカにされたり、差別されることなく、誰かに迷惑をかけることなく、この子のできること、この子の良さを認められ、大事に守られる場所。


累犯障害者と呼ばれる人がたどり着いた、最も安心できる場所。

「ここはいい所だ」「ずっとここにいたい」と願う場所。

それが刑務所だったということ。

「外」は怖い、とその人に教えたのは、私たちの社会だ。

「外」に住んでいるのは、私たちだ。


「外」を危険だと教え、「外」ではあなたは守られない、大事にされない、いじめられると、幼いころから教えているのは、私たちの社会だ。


やっぱり、私たちは、子どもを分けない学校から始めるべきなのだ。

「分けて」教育を与える前に、「分けられる怖れ」のない学校、子どもの居場所を確立すべきなのだ。
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