ワニなつノート

私が普通学級にこだわって生きてきた訳(004)


私が普通学級にこだわって生きてきた訳(004)



『居場所を探して  累犯障害者たち』長崎新聞社・「累犯障害者取材班」


この本はとてもいい本です。
多くの人に読んでほしいと思います。

ただ、取材する記者の人たちもまた、この社会で育ってきた人たちなので、私には時々不思議に思える「言葉遣い」があります。

たとえば。
【刑務所以外に行き場がない人たちの問題を解決するには、要は『居場所』を他につくるしかない。刑務所を変えること、それは根底では『社会を変えること』につながっている】
(P115)

確かに、何度も刑務所を出入りしてきた人に、刑務所以外の居場所が必要なのは分かります。

私が不思議に思うのは、この社会・地域の中に居場所を「つくる」というとき、障害児者のもともとの「居場所」を奪ってきたのは何だったのか?という視点が感じられないことです。

今でも、保育園、幼稚園、小学校、学童保育、といった当たり前の「子どもの居場所」から、障害児は拒まれ続けています。

「あなたはみんなとは違う。障害があるから」

「みんなと一緒にいるだけじゃ、あなたがかわいそう」

「あなたには、こことは別の、あなたの幸せのための場所が他にある」

そう言われて、分けられ続けてきた子どもの歴史があります。

もともとの家庭という居場所から、寄宿舎や施設に、小学校、中学校から分けられることもあります。当然、地域からも、分けられます。

そうやって、当たり前の子どもの居場所から「分けられて」、地域の人たちから「見えない」存在になれば、居場所がなくなるのは当然の成り行きでしょう。

そうした視点なしに、「根底で『社会』を変えること」は見えてこないでしょう。


また別のページにはこんな言葉があります。

【「これまでの人生で幸せだった時期はあるか」と尋ねると、彼は「ない」と即答した。
「刑務所を出ても、金がないからすぐに盗みをせんといかん。いつもビクビクしながら生きてきましたもんね」

…《高村正吉(60歳)》……周囲の手助けが少しでもあれば、高村には別の人生があったのかもしれない。

高村の生きざまを見ていると、障害者として生まれ、自力で福祉とつながることができなかった「責任」や「報い」のようなものを、高村自身だけが負わされている気がしてひどく不条理に思えた。

問題の本質は彼にあるのではなく、むしろ社会の側にあるのではないか】(P41)



「問題の本質は社会の側にある」、それはその通りだと思います。
でも、「自力で福祉とつながることができなかった」という言葉は、とても不思議です。

高村さんは、小学校は特殊学級、とあります。
「小学校を卒業後、佐賀県にある全寮制の知的障害児施設に入所」とも書かれています。
中学校もそこで終えたのでしょう。

福祉とのつながりがなかったのではありません。
障害児教育だって福祉でしょう。

私には、特殊教育が同級生や地域や家族とのつながりを奪い、その後の福祉とのつながりもないままに、子ども時代に抜き出した「みんなの社会」に放り出した結果、にみえます。

高村さんの不幸は、「障害者として生まれ」ではありません。
亡くなる直前まで刑務所に面会に通い、お金を送り続けた母親にとっての「ひとりの大事な子どもとして生まれた」のに、障害があるからと、みんなの当たり前の子ども社会から分けられ、「社会の一員であること」を子ども時代から体験させてもらえない、という「ハンディ・障害」を負わされたことこそが、不条理です。


【…「あいつが刑務所を出て、戻ってくるらしい」 
高村の実家がある五島市の集落では、そんなうわさが飛び交っていた。過去の高村を知る人たちは「障害? それでも罪は罪だ」とそっぽを向いた。
誰もが高村を敬遠した。本人もそれを分かっていた。

だが、昔から彼を見てきた女性は、別の「顔」を知っている。
ある時。腹をすかせていた彼に米を一升持たせた。すると高村は「おばちゃん、食べて」と釣った魚を置いていった。
お返しにたばこ代を300円渡すと、今度は「飾って」と鮮やかな花の貼り絵を持ってきた。

「あの子は根は悪か人間じゃなか。お金がなくて、世間から見放されて盗みばしよっと。
誰かが助けてあげんば生きていけんとやけん…」
高村をもし見掛けたら、あのころと同じように言葉を交わそう、と女性は思っている。】



丁寧に取材された記事の中には、こんな言葉もあるのに、こうしたささやかな理解の積み重ねる機会を、子どものころから、子どもたちみんなが成長し、生きる場から、抜き出されてきたのではないかという視点は、見えません。

そのことが、人の一生にとってどれほどの悲しみと不幸になるか。
この社会の多くの人は知りません。
特殊教育、特別支援教育、福祉の人たちは、もっと知りません。

それは、8歳の時から普通学級にこだわって生きてきた私の人生で確かめたことの一つです。
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